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読者の広場 テーマ「私の少年(少女)時代」

とにかく遊んだ
 昭和30年代、真っ只中が少年時代。ゲーム機もない、カラオケもない、今からみれば恐ろしい程に貧しい生活。学校給食はコッペパンにかの有名な脱脂粉乳があったっけ。学習塾も無いに等しい時代。その代わり時間はたっぷりあった。よく体を使って遊んだ。男子は陣取り合戦や馬跳び、女子はゴム段跳びやリリアン。ドッチボールに男女とも夢中になった。もちろん定番の鬼ごっこも毎日のようにしていた。体を使った遊びの楽しさは今も忘れない。 (清瀬市 MH)
懐かしい昔の遊びや情景がうかびます。

心の糧
 小学生の頃は立川文庫を愛読していた。中学2年の夏休みに徳富蘆花著「自然と人生」を読み、その漢文脈の名文に深い感銘を受けた。さわやかな気持ちになったのを覚えている。私が文学書に接するきっかけとなった忘れ得ぬ一冊である。
 私は本が大好きで、読書により心の糧を得ているが、読書の習慣は少年時代についたと言える。 (所沢市 MT)
少年期に文学にふれる、素晴らしい体験ですね。

苦にならなかった理由
 少年期、長兄が戦死した。田畑も多く、馬、牛、豚など多種の生きものを飼い、世話は大変だった。中学時代には馬の世話を任され、私は週1回近くの川まで洗馬当番だった。約2キロの行程を馬上の人となり、行きはゆっくりとした歩調で、しかし帰りは全速力で、だった。農耕馬といってもかなりのスピード、それに鞍なし裸馬での手綱さばきである。それは気分爽快だった。働けど働けどの毎日だったが、苦にはならなかったのは、四季折々の郷土愛、兄姉愛が育んでくれた少年時代の恩恵である。 (所沢市 TK)
苦労を苦労とも思わない生活、今では考えられませんね。

私の少女時代
 「少女」とは10歳前後から17、8歳の女の子のことであると辞書に書いてあった。高校時代の思い出は、石原裕次郎である。毎日ブロマイドや雑誌を持って学校に行き、友達と「歌のうまさ」と「かっこよさ」にしびれていた。そして休み時間には「赤毛のアン」をむさぼり読んだ。何巻もあるので楽しかった。今思えば、「裕次郎」が私の青春期であり、「アン」は私の青春物語である。 (所沢市 SS)
きっと誰もが経験した、少女時代のあまずっぱい思い出ですね。

野球大好き
 日本で初めて女子のプロ野球選手が誕生したというニュースを聞いて、少女時代を思い出した。私も、子供のころは野球少女。男の子にまじって、堂々クリーンナップを打つ、攻走守三拍子そろった選手だった。今でも草野球を見ると飛び入りしたくなる。 (所沢市 NM)
男子に負けない「野球少女」なんて素敵。今でも、プレーしてください。

父の愛
 東京の下町深川で育った私。兄2人妹3人の6人兄妹の長女だが、父親っ子だった。大八車をひいて運送業を営んでいた父の帰宅はいつも遅かったが、私はカラカラと車の音がするのを耳をすまして待っていた。父と一緒に銭湯に行ったり、父の大きなふところに包まれ眠るのが大好きだった。3月10日の東京大空襲で帰らぬ人となったが、父と過ごした少女時代の思い出がずっと私の支えになっている。 (入間市 MN)
やさしいおとうさんの姿が目に浮かびます。

平和を願う
 小学2年の時に戦争が始まった。空襲で防空壕に出たり入ったりの毎日で、子供心にも死んでもいいやと思ったこともあった。疎開先で元気だった父親がわずか53才で急性肺炎のため、たった1週間でこの世を去ってしまった。書き尽くせないほどの悲しみ、苦しみの数年間だった。生きるもの全てがお互いを慈しみ、争いのない社会になってほしい、もう絶対に戦争は嫌だと心の底から思う。 (所沢市 KU)
本当に平和の大切さを伝えていかなければと思います。

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