スペシャルインタビュー - 大月みやこさん

スペシャルインタビュー 大月みやこさん

今年6月に歌手デビュー50周年を迎えた人気演歌歌手の大月みやこさん。豊かに伸びる声質と歌唱力、凛とした女の姿を歌い続ける彼女は、正に演歌の王道を行く歌手として評価が高い。来たる9月27日には所沢市民文化センター・ミューズでコンサートを開く予定だ。そんな大月みやこさんに近況を伺った。
  きっと良い事があると、
        いつも思っています。
Profile 大月 みやこ (おおつき みやこ)
大阪府八尾市出身。1946年生まれ。1964年に『母恋三味線』でデビューし、デビュー20年目にしてのヒット曲『女の港』で第37回NHK紅白歌合戦(1986年)に初出場を果たした。以後、1996年までに10回出場。1992年には『白い海峡』で第34回日本レコード大賞を受賞。2013年に、歌手デビュー50周年を迎えた。
――今年でデビュー50周年ですよね。
 何となく同じ感覚でやってきて、いつの間にか50周年が来た感じです。本人が一番ビックリしていますね。
――デビュー当時の様子を教えてください。
 両親の影響で歌は大好きでしたが、そもそも「歌手になりたい」と思った事がなかったんですよ。当時通っていた音楽学校が私達生徒のデモテープをキングレコードに送ったんです。そしたら私だけ「テストしたい」と東京に呼ばれまして…。「1年位は、歌手をやれればいいかな」と軽い気持ちでした。3月の末に上京、4月の初めにレコーディング、そして6月にデビュー。歌手になるなんてこんなに簡単な事なんだなと思ってしまいました。 
――歌がヒットして、紅白歌合戦に出場するまで、22年かかりました。その間、ご苦労などはなかったのですか?
 苦労と思った事は一度もありません。デビュー後は、同じキングレコードの先輩の三橋美智也さんの前座として地方巡業をしました。大勢のお客さんの前で歌ってお客さんに拍手してもらえる。本当に毎日が楽しかったです。私は、曲をヒットさせて大スターになろうとか、賞を受賞しようという気持ちを持った事がないんです。紅白もそう。当時「初出場おめでとうございます!」と言われたんですが、それが目的で歌を続けてきたわけではないのです。デビューして20年目「女の港」が初めてのヒット曲ですが、ヒットするまで2年近くかかりましたから、曲が売れて特に生活が変わったという感じはしませんでした。ただ、その頃から、大月みやこ=「凛とした女の歌」という、私のイメージとかスタイルが広がって行く手応えがありました。そして、平成4年に「白い海峡」で第34回レコード大賞をいただく事ができました。
――健康そうで若々しく、体型もスマートでいらっしゃいますが、何か秘訣はあるのですか。
 何か特別に、体にいい事をやっている訳では全くありません。お酒はよく飲みますから、むしろ体に悪い事をやっています(笑)。ただ、私は何があっても、悩んだり落ち込んだりしないんです。いつも、きっと良い事があるはず、と思っていて、ずっと幸せだと感じています。それが、健康でいられる秘訣といえば秘訣かしら。
――今後やってみたい事、取組んでみたい事がありますか?
 「今」でしか表現できない事を、懸命にやっていこうと思っています。これからも私を支えてくれているスタッフ達が、私の新しい可能性を見つけてくれると信じています。そのためにも、溌剌としていなければならない、疲れていてはいけないと思っています。例えば5年後なら、その時にしか出せない声があると思うのです。私の声が皆様に届く限りは、その時その時を大切にして、歌い続けていきたいと思っています。
――9月に所沢で開かれるコンサートは、どのようなステージになりますか?
 私のヒット曲や新曲の他に、昭和の名曲を歌うコーナーを設けました。「ラヴソング・フォー・ユー」という、歌謡曲のカバーを収録したアルバムの中から、倍賞千恵子さんの「忘れな草をあなたに」、布施明さんの「恋」等を歌う予定です。演歌以外の私を見る事ができますので、楽しみにしてください。
 
 とにかく「プラス思考」で、前向きに考える大月みやこさんでした。また、新たな魅力を私達の前に披露してくださるでしょう。
 2013年8月
 (聞き手/編集長:山本英二)

バナー