スペシャルインタビュー - ペギー葉山さん

スペシャルインタビュー ペギー葉山さん

青春歌謡の「学生時代」、民謡調の「南国土佐を後にして」、洋楽カバーの「ドミノ」「ケ・セラ・ケラ」、自らの作詞で日本に伝えた「ドレミの歌」。これほどジャンルを超えて、幅広く歌ってきた歌手は珍しい。昨年歌手生活60周年を迎え、現在も精力的に活躍中だ。
私のモットーは前に進む、
     そして後ろは顧みないことです。
Profile ペギー 葉山 (ペギー はやま)
1933年(昭和8年)生まれ。青山学院女子高等部時代から、米軍キャンプで歌い始め、1952年キングレコードよりデビュー。1954年、第5回NHK紅白歌合戦に初出場。1959年、「南国土佐を後にして」が100万枚を超える大ヒット。1960年「ドレミの歌」を自身の作詞で日本に紹介。1965年「学生時代」が大ヒット。また、タレントとしても活動し、「NHK紅白歌合戦」や「歌はともだち」の司会、「ひらけ!ポンキッキ」等に出演。1974年、高知県名誉県人。1995年には紫綬褒章、2004年には旭日小綬章をそれぞれ受章。2010年発売「夜明けのメロディー」がロングヒット。2012年歌手生活60年。第54回日本レコード大賞特別賞を受賞。ジャズ、スタンダード、ミュージカル、アメリカンポップス、歌謡曲など、ジャンルを超えたシンガーとして活躍中。
――ペギー葉山という芸名の由来を教えてください。
当時東京近郊には沢山のアメリカ軍の基地があり、そこでは、土日ともなるとバンドが入りライブ等があって大変賑わっていたんです。
私はそこで歌っていたのですけど、アメリカの兵隊さんに名前を憶えてもらわなければならない。「ペギー」は、たまたま電話で混線してきた、アメリカ人から、「君の声のイメージはペギーだ」と言われたことからです。葉山というのは、御用邸もあるし、響きがいいと感じたから。そこで、ペギー葉山が誕生したんです。
――ペギー葉山さんといえば、ジャズシンガーというイメージが強いのですが、そのような音楽に惹かれた理由は、何でしょう。
 当時は、NHKの第3放送というのがあって、米軍向けに放送されてました。そこから流れてくるのは、殆どジャズだったの。これまで軍歌ばかり歌っていて、やっと戦いが終わって、ふっと耳にしたのがジャズだったりアメリカンポップスだったのです。青山学院高等部に入ってから、映画の鑑賞会がよくありました。家族の愛とかをテーマにした、教育的な映画を観て、豊かで美しい映画の中のアメリカの生活にとっても憧れたんです。今になって思えば米軍の政策で、マインドコントロールされたのかとも思いますけどね。私は、クラシックの勉強をしていたんですけど、NHKの第3放送を1日中聴いて、英語の歌を上手く歌いたいと強く思ったのがきっかけなんです。
――去年、芸能生活60周年を迎えられましたが、心に残っているエピソードやシーンはございますか?
 60年の間に色々な歌に出会って、そのひとつひとつに限りなく思い出はあるんですけど、その代表的なものは「南国土佐を後にして」です。私が歌ったことがない苦手な分野の曲をあてがわれてしまったのに、何故か大ヒットしてしまって…。歌手としては幸せだったか、不幸だったかわからないのですけどね。それが50年以上経った今でも歌われていて、去年の文化の日に高知市の播磨矢橋のたもとに歌碑が建ったのです。そして、その歌のおかげでもうひとつの歌との出会いがあったのです。それが「ドレミの歌」。昭和35年の日米修好100周年の行事で、「南国土佐を後にして」を歌って欲しいと在米の日本人から招待され、単身渡米しました。帰りに寄ったニューヨークで観た「サウンド・オブ・ミュージック」に感動して、是非この歌を日本に持って帰ろうと思ったんです。だから譜面とレコードを買って、その夜、ホテルに戻ってすぐに、この曲の歌詞を作りました。
 先だっての東日本大震災後の慰問の際、「ファ」はファイトの「ファ」という言葉に、みんながこの歌で元気になったと言ってくれました。子供達が輪になってこの歌を歌う姿を目にし、自分が苦労して持ち帰ったものが半世紀経っても役に立つのだと、幸せに思いました。
――ご主人の根上淳さんの介護体験の講演もなされているとか。
 私は、「歌を歌ってさえいればいつも幸せ」と言えるぐらい、幸福な結婚生活を送っていました。主人はとても歌に理解がありましたし。主人は、元気で溌剌として、歳よりも10歳くらい若く見える人だったもので、主人が病気になった時は、本当にショックでした。夫との別れが、思っていたより早く訪れた事は本当に残念でしたけれど、やるだけやった私の体験が、今、介護をされてらっしゃる方の参考になればと思っています。
――介護を最後まで、成し遂げられた力は何だったのでしょう。
 やっぱり愛ですね。主人をひとりぼっちにしたくなかった。介護施設に入れたほうが長生きしたかもしれないけど、怒ったり怒られたりしながら在宅で介護しました。大変な事も多かったのですが、歌を歌うことが私に力を与えてくれたと思うんです。
――相変わらず素晴らしい歌声で精力的に活動されていますが、秘訣はあるのですか?
 私のモットーは前に進む、そして後ろは顧みないことです。とにかく「前にすすめ」。きれいな花に感動し、若い人が活躍している姿を見て、その元気とオーラをもらっています。昨日より今日、今日より明日、歌が上手くなりたいといつも思っているんですよ。
――ペギーさんにとって歌とはなんでしょうか? 今後の目標は?
 生きる力ですね。歌がない世界は考えられません。歌を与えてくれた神様に感謝しています。そして、「語れる歌」を歌える歌い手になりたいと思っているんです。戦中から戦後と人生を重ねた分だけ、歴史を顧みながらひとつの人生の味わいみたいなものを、皆様に伝えて行きたいと思っています。そんな年寄りの歌い手が一人位いてもいいんじゃないかと…。
――パソコンがお好きでブログを書かれているそうですね。
 インターネットは随分前からやっています。ブログも人に教えてもらいながらですが、自力で更新しています。写真を入れたり、文章を書いたり楽しいですよ。ボケ防止よ(笑)。

 2013年12月
 (聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)

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