スペシャルインタビュー - 松崎 しげるさん

スペシャルインタビュー 松崎 しげるさん

芸能界きっての“元気印”。その個性的なルックスとキャラクターで、世代を超えて愛され圧倒的な存在感を放ち続けている。
円熟期を迎え、なおその歌声の代名詞である音量や音域に磨きがかかっているという。ソロデビュー45周年の節目に、追悼の意を込めて歌い込んだ曲や後世に残したい名曲を中心にカバーアルバムを発表。そんな松崎しげるさんが、時代背景を交えながら自分の生い立ちを振り返り、等身大の「今」を語ってくれた。

音楽は、自分の体の栄養源
      ステージこそ我が人生

Profile 松崎 しげる (まつざき しげる)
1949年 東京都江戸川区出身 学生時代に結成した音楽バンド“ミルク”の解散後、1970年ソロデビュー。スペインのマジョルカ音楽祭で歌唱した「愛の微笑」で最優秀歌唱賞受賞。翌年、同曲をアレンジした「愛のメモリー」がCMソングとして起用されるや否や、瞬く間に大ヒットを記録。日本レコード大賞歌唱賞を受賞し代表曲となる。また「ディナーショーキング」の異名を持つエンターテイナーで、年間数多くのステージをこなす一方、圧用的な歌唱力を誇りボーカリストとして国内外で幅広く活躍中。

――15歳で東京を独り占め
 東京の下町、江戸川で生まれ育った松崎少年は、いつもエンジン全開で根っからの江戸っ子気質。他を抜きん出た遊びの天才で、流行りのフラフープやホッピングをやらせたら右に出る者はいなかった。冷蔵庫、洗濯機、テレビの「三種の神器」がまだ普及していない当時、テレビがあった彼の家は、相撲・プロレス・野球中継の時間ともなると黒山の人だかり。そんな時代をリアルタイムで生き抜いてきた。
 運動が得意で野球少年だった彼は、東京オリンピックの聖火ランナーの伴走者に選ばれるほど。オリンピック開会式当日の話に熱が入った。
 「台風一過の雲一つない青空、江戸川から代々木上空の五輪マークがはっきり見えるんですよ。見上げると東京タワーと富士山、そして五輪マーク。中学3年にして『東京を独り占め』した雰囲気を感じましたねっ」と、当時を振り返る。
――バンド解散からソロ歌手へ
 「甲子園目指して野球に打ち込んでいたのですが、怪我で野球を断念。それ以降は、音楽一筋です。高校時代に『ミルク』と言うバンドを結成し、3年の頃には既にプロとして活動してましたね。その頃のマネージャーが宇崎竜童君なんです。本格的に音楽を学ぼうと日大芸術学部に入学したものの、学園紛争の中、一年目で休校に近い状態でした。厚さ30mのバリケードを抜け、検問所を通って大学に通いました。在学中にバンドは解散。やめていくバンド仲間の後押しもあり、二十歳でソロ歌手としての活動を始めたのです。一番血気盛んな時期、学園紛争での一年半の休校が自分が将来歌い手になるという道を作ってくれた気がします。自分が最も行くべき場所に導いてくれた感覚ですね」
――その後15歳でデビューされ、青いリンゴが大ヒット。その後、次々とヒット曲が続きましたね。当時の事を今どのように、感じますか?
 売れていた頃のお話となると、憶えていません(笑)。当時レコードの売上が1位になった事もあるし、年間のヒットチャートが1位になった事もあります。それが一つの目標だとしたら、目標を達成した事になると思うのですが、僕にとって価値を感じるのは、そこまでの道程なんですよ。頑張って色々な経験をした事が、暗い話ではなくて、それが僕にとっては、印象的で楽しかったし自慢なんです。脇 目もふらず一心不乱に頑張っていた、そんな自分が自慢なんです。
――「愛のメモリー」秘話
 CMをきっかけにヒットしたこの曲は、時代を超えて記憶に残る名曲だ。魂の叫びのような歌声がこの歌の持つパワーなのだろう。
「スペインのマジョルカ音楽祭で最優秀歌唱賞を受賞したのですが、当初、日本での反応は冷ややかでした。レコード会社に持ち込んでも『こんな難しい曲、売れるわけない!』とあっさり断られるんですよ。ところが、グリコのCMソングに起用されるや否や『美しい人生よ~♪ いやー、いい曲だね』と掌を返したよう。
 1977年の日本レコード大賞歌唱賞受賞、紅白歌合戦出場、そして翌年の選抜高校野球大会の入場行進曲にもなりました。少年時代からの夢の甲子園。バックネット裏で入場行進する球児達を見て、涙が溢れました。この一曲が色んなドラマを作ってくれたし、この曲の持っているパワーが自分の世界を築いてくれた思いです」
――ステージこそ我が命
 「この歳になると、自分の持っている80%の力でやった方が渋いよ…と言われますが、僕は違います。いつも100%以上出したいですね。120%の力でやろうとするとお客さんがまた力をくれて、思ってもみない150、160%のステージになるんです。僕はラブソングを歌っていても、ロッカーのようにトランス状態になります。ラブソングであっても、イタリアのカンツォーネの様にアウトドアで歌う曲ととらえているからです。歌はこんなにも無心にしてくれ、激を与えてくれる…、自分にとって最高の薬です」
――ソロデビュー45周年記念
 歌に人生を捧げてきた彼が、今だから歌える大人なアレンジでセルフカバー『私の歌』を含む全14曲をカバーした45周年記念アルバムを発表。追悼の意を込めて歌う坂本九さんや尾崎紀世彦さんの曲から平成の名曲迄、後世に残したい曲を選択した。
 また『クロ』に因んで記念日協会から認定された『松崎しげるの日』(9月6日)に、幕張メッセで『黒フェス』なる記念イベントが開催される。芸能界きっての大親友、若かりし時代に青春を謳歌した西田敏行さんやコロッケさんなど蒼々たるメンバーが出演予定。どんなステージが繰り広げられるのか見逃せない。
――健康の秘訣は『気力』
 「元気は自分の役割だと思ってます。一番嬉しい言葉は『マツ!お前に会うと元気になるよ』と言ってもらった時ですね。僕の三原則は、気力・体力・喉の強さ。この3条件が揃えば何でも大丈夫。僕は、次の東京オリンピックの聖火ランナーをやろうと思ってるし、多分やれると思います(笑)。僕みたいに暴飲暴食でやりたい放題しながらでも健康で元気でいられるのは、気力だけは絶対に絶やさないからです。まずは、気力をしっかり持つ事。それが何をしてでも楽しい生活を送れる絶対の条件だと思います」

 「歌は自分の栄養源」との言葉に、ボーカリストとしての強い信念を感じた。そんな松崎さんも、家庭ではごく普通のご主人であり良き父親。埼玉西武ライオンズの球団歌の歌唱が縁で、ライオンズの大ファンで西武球場に足を運ぶと言う彼に、親しみと御縁を感じたインタビューだった。


 2015年8月
 (聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)

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