スペシャルインタビュー - つのだ☆ひろ さん

スペシャルインタビュー つのだ☆ひろ さん

天下の名曲「メリー・ジェーン」。熟年世代ならずとも誰もが口ずさめる有名な曲だ。日本人離れしたパワフルなドラミングと卓越したテクニックが評判を呼び、海外のジャズフェスティバルに参加するなど、日本を代表するドラマーとして一線で輝き続けている。そんな、つのだ☆ひろさんの華麗な音楽人生のお話を伺った。
音を知る、リズムを知る、ドラムを知る
          人間 一生勉強です

Profile つのだ☆ひろ 
1949年福島県生まれ 翌年東京移住。中学時代からドラムを始め高校在学中にデビューを果たす。1960年代後半、ジャズピアニストとのトリオ活動を皮切りに渡辺貞夫カルテットに加わるなど日本を代表するミュージシャンと共演し、ドラマーとしての地位を確立。世界各国の著名ミュージシャンとも幅広い活動を行い注目される。歌手としても「メリー・ジェーン」のロングヒットで脚光を浴び、作詞・作曲家として活動。現在は総合音楽学校を開講中。

――ドラマーとしての今があるのは転がった消しゴムのおかげ!?
 8人兄弟の末っ子とし生まれ育った角田少年は、兄姉達が聴く時代を超えた音楽に常に触れる環境にあった。ベンチャーズの全盛期、エレキブームの中で自然と音楽、特に楽器に興味を抱いていったのだ。
 ある日、勉強をしていた彼の机の上から消しゴムが本棚の後ろに転げ落ちた。それを拾おうとし、偶然目に止まったのが木を削って作ったドラムスティック。すぐ上の兄(後、日本を代表するリュート奏者・つのだたかし)が、映画『嵐を呼ぶ男』を観て憧れ、手作りしたスティック。それを角田少年が手にし、本や空き缶をドラムに見立て叩いていたそう。この一件が無かったら、ドラマー・つのだ☆ひろは存在していなかったかもしれない。
――各国有名ミュージシャンと共演
 彼の驚くべき所は、BBキング、ラリー・グラハム、ビリー・プレストン等、海外ミュージシャンとの共演の多さだ、
 「僕は、海外のミュージシャンの方にお金を払って来てもらった事は一度もありません。みんな友人だから来てくれるのです。亡くなったリッキー・ローソンを始めイアン・ペイス(ディープパープル)、ボンジョヴィやレッチリのドラマーなど、そうそうたる人達がここに訪れ、壁にサインをしてくれました。この場所に来てくれた!という事で、今非常に財産になっています。ドゥービー・ブラザーズのカレンダーには、共演した僕が一緒に写ってるんです。宝物ですねっ。海外のミュージシャンの方が来ると、僕の所に電話がかかってくるんです。秋葉原のヨドバシカメラ、浅草見物、石庭が見たいといえば九品仏まで連れて行ったりもします。あらゆるリクエストに応えるという事を随分前からやっていますね。英語の曲を歌う機会が多いので、19歳の頃から英語の発音矯正を受けました。当時、英語が通じるというのは大きかったですね」
 また、かのジャズミュージシャン、サッチモことルイ・アームストロングに亡くなる一年前に逢っているという。強烈でシビレる思いだった、と20歳の頃を振り返って語ってくれた。
――「メリー・ジェーン、オママ~イン」 有名なフレーズのモデルはマーガレット
 彼が大好きな女の子に思いを込めて作った曲が『メリー・ジェーン』。実はこの曲にはモデルがいた。
 「僕が思いを寄せている女の子の名前は、『マーガレット』。でも「マーガレット~!」と叫んでも歌にならない響きなんです。彼女への思いを歌に書きたいのだけれど名前が上手くはまんない。彼女の友達に『メリー・ジェーン』という女の子がいて『素敵な名前だ』という事でこの詞に結び付いたわけなんです」
 ディスコの全盛期、それぞれの想いを寄せて踊っていたあの曲には、こんな誕生秘話があったのだ。
――総合音楽学校に情熱を込めて
 「僕らの時代、音楽をやっている仲間は皆長髪なんです。それが一定年齢になると、髪の毛を短く切ってスーツを着て会社に通い始める。でも皆、音楽をやりたかったんです。僕はそういう皆さんの上に立ってミュージシャンをやらせて頂いてると思っています。そういう人達が、ある程度時間ができ、自分に余裕ができて音楽をやりたいと思ったとき、どこにやる場所がありますか?僕が始めたこの学校ではそれが可能なんです。生徒同士が組んで実践ができます。実際にドラムを叩き他の楽器と一緒にアンサンブルをし、歌い手の伴奏をしてそれをお客さんに聞いてもらう。そこで初めて音楽の勉強なんです。
 ここの生徒は、4歳から70歳代と幅広いですよ。子供、若者、老人を繋げる接着剤が音楽です。この学校には卒業がありません。卒業は唯一プロになった時ですね。つまり就職率100%! ここで知り合った仲間とバンド活動をしてライブに出演する、CDを出す……、そういう事がやれるんです。昔、ベンチャーズが弾けたけど今は弾けなくなった。そんな人は是非ここへ来てください。一から教えます。そのうち『バンドを組みたくなった、人前で演奏してみたくなった』、いつでもそれに応えるための下準備をしています」 わくわくするような音楽学校の話に、つのだ☆ひろさんの熱い思いを感じた。
――100歳まで思いっきり仕事して、後の20年は思いっきり遊びます!
 「人間、元気になる物を自分が持っているかどうかです。自分が好きな事を早く見つけ、それを心から楽しむ事。それが若さの秘訣です。僕は100歳になったら引退コンサートをしようと思っています。人間、死ぬまでが人生。まだまだ輝ける場所があるはずです。年老いている場合じゃないですね」

 穏やかで、絶えない人懐っこい笑顔、お会いしてたちまちファンになり、エールを頂いた気持ちになった。来る12月25日、所沢ミューズ マーキーホールで行われる「アンフォゲッタブル・コンサート」が楽しみである。そして、34年後に開催される『100歳引退コンサート』に期待が高まる思いのインタビューだった。


 2015年12月
 (聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)

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