松原のぶえさん

クセのないのびやかな歌声と安定した歌唱力、紅白歌合戦にも7回出場するなど、その人気・実力は折り紙つき。そんな松原のぶえさんだが、5年前、実弟からの提供を受けて生体腎臓移植に踏み切った。「地獄から天国を見た」と屈託のない笑顔で語る彼女から、歌に対する強い思いや、前向きに病気に立ち向かう姿勢が自然に伝わってきた。
『二度目の人生』をはつらつと
       大切に生きていきたい!
Profile 松原 のぶえ (まつばら のぶえ)
1961年大分県中津市生まれ
タレント養成学校に通っていた中学時、北島音楽事務所にスカウトされ17歳で上京。1979年「おんなの出船」でデビューし、レコード大賞・新人賞をはじめ、その年の歌謡賞レースで数多くの新人賞を受賞。1989年レコード大賞・美空ひばり賞の名誉ある第1回目の受賞者になった。その後も、国際芸術文化大賞を獲得するなど女性実力派演歌歌手の一人。生体移植手術を乗り越えた現在も、全国のコンサート活動や歌謡指導など、意欲的に活動中。
――片道3時間、夢中で通い続けたレッスン生時代
 大分出身の彼女、中学2年の頃から、福岡まで電車で片道3時間かけてタレント養成学校に通っていた。「土日のレッスン日が田舎育ちの私にはとっても楽しみで、ウキウキしながら都会へ出かける思いでしたね」
 その後、当時の福岡放送局で東京の北島音楽事務所にスカウトされた。17歳の時である。
 「父は若い頃に芸能活動に興味を持っていたので、上京を賛成してくれましたが、母は私を手元においておきたかった様でしたね。迎えに来てくださったのが、北島三郎さんそっくりの弟さん。東京に身寄りがない私は、その弟さんのところに下宿させて頂けるという事で、心配しながらも両親は納得してくれました。ただ、『レッスンをしてみて使いものにならなければいつでも田舎に返す』と言われていたので、それはもう必死で練習に励みましたよ。北島音楽事務所にとっても、初めて若手演歌歌手をデビューさせるという事で、本当にとても大切に育てて頂いたという思いがあります」
――18歳まで海を見たことがなかったのに「おんなの出船」が大ヒット
 そしてデビュー曲、「おんなの出船」がいきなり大ヒットとなった。
 「まさに大人の歌。キャンペーン先で歌っても、17歳という年齢と歌詞の内容がマッチしないのか、周りの人の反応は『これは誰の歌?誰のリバイバル?』っていう感じでしたね。年配の方に「若くて歌詞の意味、わからないでしょう?」と言わることも度々でした。それどころか私は、幼い頃の潮干狩りでの海しか知らなく、18歳になるまで海を見たことがなかったんです。歌詞に出てくる波止場・桟橋・出船という言葉にピンとくる感覚はなかったですね」
――旅先で人工透析を受けながら、ステージに立ち続けた日々
 幼少時から腎臓障害があった。暫くは落ち着いていたが、風邪をこじらせたのが原因で、週3回の人工透析が必要なほど腎機能低下が顕著になった。2009年、デビュー30周年という節目に実弟からの提供を受けて生体腎臓移植手術に踏み切った。
 「二つある腎臓が全く機能しなくなってしまいました。それはもう辛かったですね。でも、歌をやめようと思ったことは一度もありません。私を懸命に育ててくれた方々、コンサートのスタッフ、事務所のみんなの為、『私の体であって、私の体じゃない。歌をやめるわけにはいかない』そんな思いでした。ステージの会場近くの透析センターに予約を入れ、透析を受け一仕事終えた後にステージに立つ、そんな状態が続きました。毒素を外に排出できない為、尿意を感じ取れない。食べ物ひとつとっても、とてつもない制約に侵された日常生活でした」
――地獄から天国を見た、二度目の人生の始まり
 2009年の移植手術後の退院会見では、「二度目の人生の始まり」と喜びの実感を語り話題となった。
 「退院後、今年で5年目。現在も加療中ですが、通院回数も徐々に減り、通常の生活ができる素晴らしさを身をもって体験しました。皆さんも『風邪くらいだから大丈夫』と油断せず、しっかりと自分の体と向き合って下さい。人生少しでも元気で長く生きていきたいのであれば、病院と上手に付き合っていく事をお勧めします。健康は小さなことの積み重ね。今は、お漬物に醤油はかけない、ラーメンのスープは飲まない、夜9時以降は食べ物を口にしない、当たり前のことに常に気を付けています。でも、旅に出たときは別ですけどね」
――一般の方を対象に歌謡指導も
 「事務所内ではマンツーマンで、20人程集まれば出向くこともあります。特に歌手を志す人だけが対象という訳ではないんですよ。歌が上手くなるコツは、『音を楽しむ』こと。メロディにのって歌を体で覚える。恥ずかしいからと言って我慢するとそれだけで邪念が入ります。体がやりたいように思い切って振付けて下さい。特に演歌は、人生を語ることが多いですから、言葉が大切です。一語一句はっきりと聞き取れるように。そして悲しい歌ほど口角を上げる意識で歌ってみて下さい」
――空から歌詞が舞降りてきた瞬間
 新曲「夫婦坂」の作詞・作曲は、松原のぶえさん本人である。
 「かねてから自分自身で作品を手掛けて、歳を重ねた時に自分の好きなように歌ってみたいという強い希望があったのですが、そのチャンスが意外と早くにやって来ました。ある仕事でご一緒した作家のご夫婦を拝見して、詞と曲がぱっと空から降ってきたのです。この『夫婦坂』は、人生の苦楽を共に過ごした夫婦の道のりを明るくほのぼの綴った夫婦演歌です。念願叶っての大切な曲ですので、この子(夫婦坂)が育っていくように今は全力で頑張っています」
 艶やかな着物姿で演歌を歌う松原のぶえさん。実は意外なことにアウトドア派で、趣味は釣りやゴルフ。大病を乗り越えて健康に活動できる幸せをかみしめて、生き生きと語られていました。

2014年4月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)