「白いブランコ」、「さよならをするために」、「また君に恋してる」など、数々の名曲で知られる兄弟デュオ「ビリー・バンバン」。兄・孝さんは脳出血、弟・進さんは大腸がんと大病を患うも、奇跡的な復活を遂げ、現在年間100回近いステージをこなし、多くの人々に感動を与え続けている。来年でデビュー50周年を迎えるお二人にお話を伺った。
生かされてありがとう
毎日感謝しています。
毎日感謝しています。
Profile ビリー・バンバン
兄・菅原 孝(写真右)1944年生まれ
弟・菅原 進(写真左)1947年生まれ
東京都国立市出身。1969 年、「ビリー・バンバン」としてキングレコードから「白いブランコ」でレコードデビュー。1972 年「さよならをするために」が大ヒットしNHK 紅白歌合戦出場を果たす。1976 年に解散するも1984 年に再結成。2007 年「いいちこ」のCM 曲「また君に恋してる」が坂本冬美のカバーでロングセラーに。2016 年、新CM 曲「さよなら涙」をリリースするなど、現在もコンサートを中心に活躍中。
兄・菅原 孝(写真右)1944年生まれ
弟・菅原 進(写真左)1947年生まれ
東京都国立市出身。1969 年、「ビリー・バンバン」としてキングレコードから「白いブランコ」でレコードデビュー。1972 年「さよならをするために」が大ヒットしNHK 紅白歌合戦出場を果たす。1976 年に解散するも1984 年に再結成。2007 年「いいちこ」のCM 曲「また君に恋してる」が坂本冬美のカバーでロングセラーに。2016 年、新CM 曲「さよなら涙」をリリースするなど、現在もコンサートを中心に活躍中。
――「白いブランコ」でデビュー
公務員の家庭に生まれた孝さんと進さんは、3人兄弟の次男と三男。音楽好きの母親の影響もあり、2人とも幼少の頃から自然に音楽
に親しんでいた。二人にとっての大きな転機は、孝さん大学2年、進さんが高校2年の時。父親の伝で、当時、新進の音楽家として注目されていた浜口庫之助氏に師事することになったのだ。
夢に一歩近づけた実感があったと語る進さん。
「レッスンは代官山の浜口先生の自宅で行われ、毎日がそれはもう楽しくって…。邸宅の庭には白いブランコがあって、そのブランコに座りながらできた曲が、あの『白いブランコ』です。その時期、並行してアマチュアバンドを結成して活動していました。フォークジャンボリーが盛んで、千人規模の会場が常にあっという間に満員になるほど。『白いブランコ』は既に持ち歌で、僕達はデビュー前から名が知られていたと思います。当時のメンバーには『せんだみつお』がいたの
ですが、浜口先生とレコード会社の意向もあり、兄弟デュオとして二人でデビューする事になったのです」
一方孝さんは進さんとは対照的。「弟と違い、デビューする時には大分悩みました。体格にも恵まれ野球も得意だったし、勉学にも励んでた。大学の仲間に歌手デビューの話をし
た時、『このまま大学を卒業して就職すれば、安定した道が開けているのに…』などと言われ、歌手という職業が一生の仕事になるのかと、とても不安でしたね」
そんな不安をよそに、デビュー曲「白いブランコ」、「さよならをするために」とヒットし、不動の人気を築いた二人。その後、互いの意見の食い違いから一旦解散するも、8年後に再結成。再結成後は「いいちこ」のCMソングで有名な「また君に恋している」など名曲が続いた。
公務員の家庭に生まれた孝さんと進さんは、3人兄弟の次男と三男。音楽好きの母親の影響もあり、2人とも幼少の頃から自然に音楽
に親しんでいた。二人にとっての大きな転機は、孝さん大学2年、進さんが高校2年の時。父親の伝で、当時、新進の音楽家として注目されていた浜口庫之助氏に師事することになったのだ。
夢に一歩近づけた実感があったと語る進さん。
「レッスンは代官山の浜口先生の自宅で行われ、毎日がそれはもう楽しくって…。邸宅の庭には白いブランコがあって、そのブランコに座りながらできた曲が、あの『白いブランコ』です。その時期、並行してアマチュアバンドを結成して活動していました。フォークジャンボリーが盛んで、千人規模の会場が常にあっという間に満員になるほど。『白いブランコ』は既に持ち歌で、僕達はデビュー前から名が知られていたと思います。当時のメンバーには『せんだみつお』がいたの
ですが、浜口先生とレコード会社の意向もあり、兄弟デュオとして二人でデビューする事になったのです」
一方孝さんは進さんとは対照的。「弟と違い、デビューする時には大分悩みました。体格にも恵まれ野球も得意だったし、勉学にも励んでた。大学の仲間に歌手デビューの話をし
た時、『このまま大学を卒業して就職すれば、安定した道が開けているのに…』などと言われ、歌手という職業が一生の仕事になるのかと、とても不安でしたね」
そんな不安をよそに、デビュー曲「白いブランコ」、「さよならをするために」とヒットし、不動の人気を築いた二人。その後、互いの意見の食い違いから一旦解散するも、8年後に再結成。再結成後は「いいちこ」のCMソングで有名な「また君に恋している」など名曲が続いた。
――二人を突然襲った大病
デビュー45周年を控えた2014年、孝さんは脳出血で倒れた。「その前の年に母が熱中症で入院した為、今年はそうならないよう母の家で料理や身の回りの世話をするのに必死になってました。トイレに入って力んだ瞬間、突然転げ落ちてしまい立ち上がろうにも足がフニャフニャ、力が入らなくなったのです。そのまま緊急入院で、命には別状は無かったもののそこから過酷なリハビリの日々が始まりました。体は昔のようには戻らないかもしれないけれど、今は日々、筋肉と並行感覚を鍛えながら、何とか頑張ってますよ。実は倒れる前、健康には人一倍注意してたんです。毎日ジョギングは欠かさなかったし、塩分も摂り過ぎないように気を付けていました。でも病って、突然襲ってくるもの。体の左半分は自由が利かなくなったけど、幸
い声は奪われなかった。だからこうしてステージで歌うことができる、有り難いことです」
一方、進さんは孝さんが倒れる2ヶ月前、大腸がんの手術を受けていた。「糖尿で定期的に血液検査を受けていました。数値に異常がみつかり、内視鏡検査を受けたんです。盲腸に腫瘍があると宣告された時には既にステージ3で、開腹手術となりました。リンパ節まで除去し通常な
ら手術後抗がん剤治療となるところ、副作用を考えてそれを拒否。定期的に検査をしていますが、今のところ幸いにも再発はしていません」
デビュー45周年を控えた2014年、孝さんは脳出血で倒れた。「その前の年に母が熱中症で入院した為、今年はそうならないよう母の家で料理や身の回りの世話をするのに必死になってました。トイレに入って力んだ瞬間、突然転げ落ちてしまい立ち上がろうにも足がフニャフニャ、力が入らなくなったのです。そのまま緊急入院で、命には別状は無かったもののそこから過酷なリハビリの日々が始まりました。体は昔のようには戻らないかもしれないけれど、今は日々、筋肉と並行感覚を鍛えながら、何とか頑張ってますよ。実は倒れる前、健康には人一倍注意してたんです。毎日ジョギングは欠かさなかったし、塩分も摂り過ぎないように気を付けていました。でも病って、突然襲ってくるもの。体の左半分は自由が利かなくなったけど、幸
い声は奪われなかった。だからこうしてステージで歌うことができる、有り難いことです」
一方、進さんは孝さんが倒れる2ヶ月前、大腸がんの手術を受けていた。「糖尿で定期的に血液検査を受けていました。数値に異常がみつかり、内視鏡検査を受けたんです。盲腸に腫瘍があると宣告された時には既にステージ3で、開腹手術となりました。リンパ節まで除去し通常な
ら手術後抗がん剤治療となるところ、副作用を考えてそれを拒否。定期的に検査をしていますが、今のところ幸いにも再発はしていません」
――病を乗り越えて
去年3月、孝さんの病気のために延期になっていた45周年コンサートが3年越しに行われ、多くの人の感動を呼んだ。その年の秋からは全国各地でコンサート会場を回っている。
「先日、目が見えなくて片方の耳しか聞こえないという方が会場まで足を運んでくれまし。『ありがとう』と手を差し伸べてきてくれた時には涙が出たね。体が思うように動かなくなったのは悔しいけれど、その事で見えてくることは沢山あります。体が動くようになったら、まずジョギングしたいなぁ」と孝さん。
「病気後は、朝目が覚めると『ああ、今日も生かされてありがとう』という気持ちが生まれます。いやな事があっても、無理にでも笑う。そうすれば自然とハッピーな気持ちになるんです。声が出る限り、私達の歌を望む人がいる限り歌い続けたいです」と真摯に語る進さん。
去年3月、孝さんの病気のために延期になっていた45周年コンサートが3年越しに行われ、多くの人の感動を呼んだ。その年の秋からは全国各地でコンサート会場を回っている。
「先日、目が見えなくて片方の耳しか聞こえないという方が会場まで足を運んでくれまし。『ありがとう』と手を差し伸べてきてくれた時には涙が出たね。体が思うように動かなくなったのは悔しいけれど、その事で見えてくることは沢山あります。体が動くようになったら、まずジョギングしたいなぁ」と孝さん。
「病気後は、朝目が覚めると『ああ、今日も生かされてありがとう』という気持ちが生まれます。いやな事があっても、無理にでも笑う。そうすれば自然とハッピーな気持ちになるんです。声が出る限り、私達の歌を望む人がいる限り歌い続けたいです」と真摯に語る進さん。
現在「いいちこ」のCMで流れている「さよなら涙」。孝さんによると、進さんが作曲した中で一番の傑作だとか。ラブソングでもあり応援歌ともとれるこの歌は、私達を勇気付けてくれる。これからも兄弟ならではの、優しく心地よい美しいハーモニーを聴かせてくれることだろう。
2018年10月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)