松井 稼頭央二軍監督

埼玉西武ライオンズで攻守走すべてにおいて秀でた完全無欠のプレーヤーとして活躍。メジャー・リーグへ旅立ち、そして昨季15年ぶりにライオンズへ復帰して、同年現役を引退。今年から埼玉西武ライオンズの二軍監督として、指導者の道を歩み始める。彼の挑戦の日々を伺った。
ファンの声援こそが最大の力です
Profile
松井 稼頭央(まつい かずお) 1975年生まれ 大阪府東大阪市出身
PL学園高校時代は投手として活躍。2年時に選抜高等学校野球大会に出場。93年にドラフト3位で西武ライオンズに入団。3年目に遊撃手のレギュラーに定着。翌年の97年には62盗塁を記録して盗塁王となり、98年、99年と3年連続で盗塁王に輝く。2002年にはスイッチヒッターとして史上初となるトリプルスリー(3割、30本、30盗塁)を記録。2004年にニューヨーク・メッツへ移籍。2007年にはコロラド・ロッキーズでワールドシリーズに出場。2009年に日米通算2000本安打を達成。2018年に古巣埼玉西武ライオンズで引退を表明。25年間のプロ選手生活に終止符を打った。 2019年は埼玉西武ライオンズの二軍監督に就任した。
――幼い時から野球に没頭
「幼い頃の写真を見ると、ボールとバットを持っていて、物心付く前から野球で遊んでいたようです。小学3年になるのを待ちかねてボーイズリーグに入団したのですが、全国大会の一歩手前でいつも負けていました。僕が通っていた中学校は、学区内にあるボーイズリーグに入っていればクラブ活動として認めてもらえたので、野球の練習のない月曜から金曜までは、バスケや、バレー、サッカー、卓球など様々なクラブに参加し練習させてもらいました。色々なスポーツを経験して色々な神経を鍛えられた事がその後のプレーに役立ったのではないかと思います」
――怪我に苦しんだ高校時代
高校は名門PL学園へ進学した。
「桑田投手や清原選手が活躍したPL学園は僕にとって憧れの存在。まさか行けるとは思っていなかったPL学園から推薦の話を頂いた時は、もう嬉しかったですね」
ピッチャーとして1年生からベンチ入り。1年の秋季大会では肘を痛めていたので投げることができなかったが、チームは春のセンバツに出場。準々決勝で先発に指名された。
「痛み止めを打ってマウンドに上がりました。相手は東海大相模で結果は3回途中でノックアウト。3年の夏は大阪大会の決勝でマウンドに立ったのですが、最後に打たれて負けました。悔しかったですね。高校時代はケガに苦しみましたが、医者の方が言うには、筋肉の成長に骨がついていっていないとのことでした」
皮肉な事に、彼の全身バネのようなあまりにも強い筋肉が故障の原因となっていたのだ。だが、彼の野球の素質は多くの球団のスカウトの目に止まり、ライオンズに野手としてドラフト3位で指名を受けた。
――ゼロからのスタート
「野手の経験が全く無く、本当にゼロからのスタート。対左投手だと3割打てていたのですが、右投手だと2割以下。足があるんだからスイッチをやってみるかとコーチに勧められ、左打ちの練習を始めました。守備、走塁、スイッチと、とにかくやる事が多かったです。ノックを受けていても、捕るところまでは東尾監督は見ているのですが、ファーストに投げる時になるとわざと目をそらすんですよ。暴投ばっかりしているので、見てしまったら試合で使えない。監督はそこまでして、僕を使い続けてくれたんです。だから上手くなりたいというよりも、その期待に応えたいという一心でした」
猛練習が実り、2年目の中盤以降、一軍に定着。3年目には、遊撃手のレギュラーを勝ち取った。その後の活躍はめざましく盗塁王3回、2002年はトリプルスリーを達成。パワーとスピード溢れるプレーは高い評価を受け、日本プロ野球史上最高の遊撃手とも呼ばれるようになった。
――メジャー挑戦
そしていよいよ大リーグに挑戦する。2004年、メッツに移籍。開幕戦からスタメンに入り、先頭打者で初球本塁打を放ち、全米を驚かせた。
「日本の野球との違いを良く聞かれるのですが、一言でいうのはとても難しい。でも、太陽の下、天然芝の上で野球をやるのは気持ちいいですよ。アメリカでは太陽が近く感じるんです。沸き立つ芝の匂いもいいですね」
大リーグでは3球団を渡り歩き、ワールドシリーズも経験。その後、楽天で日本球界に復帰し、2013年に星野監督とともに初めての日本一を達成。そして去年、ライオンズに電撃的に復帰する。
「FAで出ている僕が、ライオンズから声がかかるとは思ってませんでした。本当に嬉しかったです。試合では代走で出た時でさえ、スタンドから大声援。涙が出るほど感激しました。ライオンズに戻ってきて良かった。心の底からそう思いました」
――引退を決意した瞬間
「調子が上がらず登録を抹消されましたが、球団からチームに帯同するように言われたのです。フッと体から力がぬけるのを感じました。その時もう潮時かなと思ったのです」
優勝が決まった札幌ドームでの試合、辻監督の胴上げ終了後、チームメートに押し出されて輪の中央へ。背番号と同じ7回、宙に舞った。
「まさかの嬉しいサプライズ、最高でした。リーグ優勝で選手生活を終えることができて本当に感謝しています。二軍監督就任の打診があったのは、シーズンが終わってから。これも嬉しいびっくりでした。指導者としてはまだ1年生。勉強の日々です。若い選手が成長して行く姿を見るのはやりがいがあり楽しい事です。ぜひ二軍の試合にも足を運んで頂いて次世代の選手の姿を見てほしいと思います。ファンの皆様の声援が力になりますので、これからも応援お願いします」
 「感謝」という言葉が何度も出てくる、謙虚な人柄を強く感じさせるインタビューでした。その人柄こそが、選手として大成した理由なのでないかと思います。明日のライオンズを担う若き指導者として、今後益々の活躍を期待します。

2019年6月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)