大川栄策さん

 歌謡界が「ザ・ベストテン」など、テレビ番組の影響で若者向けの曲が全盛期、異彩を放っていたのが「さざんかの宿」を歌う大川栄策さんだった。ドロドロ感溢れる歌詞を、淡々と儚く美しく歌いあげ、日本中にその名と実力を知らしめた。色褪せない素朴さと朴訥さが魅力の彼が、当時を振り返りながら語ってくれた。
歌と出会い人と出会い、
そして時代と巡り合えた!
Profile
大川栄策(おおかわえいさく)1948年生まれ 福岡県大川市出身
高校卒業と同時に上京、作曲家古賀政男先生に弟子入りする。1969年「目ン無い千鳥」でデビューし、リバイバルヒットとなる。以後、地道に古賀メロディーを歌い続ける。1982年に発売した出世曲「さざんかの宿」は、180万枚の大ヒットとなり、翌年の日本レコード大賞や有線大賞などで様々な賞を受賞する。紅白歌合戦に、1983年以降連続4回の出場。去年「歌手生活50周年大川栄策CDコレクション」を発表。演歌の世界を歌い続けている演歌界の第一人者。
――父親の背中に男らしさへの憧れを募らせた少年時代
芸名の由来にもなっている家具製造で有名な町、福岡県大川市で生まれ育った。家具職人のたたき上げの父親の姿に憧れ、木の香りと男の汗臭さが染み込む様な環境の中、空手道に没頭しながら血気盛んな学生時代を過ごした。
「男らしさを貴ぶような気風の中で育った僕は、パワー溢れる強い男になろうと、一番硬派な空手を始めました。練習に明け暮れた日々で、町道場の仲間と九州大会に出場し、団体戦で優勝も果たしました。この頃、ラジオから流れてくる村田英雄さんの歌声を耳にし、浪曲界から歌謡界に転身した彼の姿に、男らしさへのイメージを膨らませたものです。彼の歌声と出会ったことが、歌手を目指したきっかけでもあり歌人生の原点でもあります。強く影響を受けた一人ですね」
――古賀政男の最後の内弟子
「高校一年の時に、同郷のご縁と父の友人の力もあって、古賀政男先生の下で歌のテストを受ける機会に恵まれました。僕の歌に興味を示して頂き『弟子入り』というご厚意のお言葉を頂きながらも、その夢は叶えられませんでした。当時、先生は大作曲家として「柔」や「東京五輪音頭」など、ミリオンセラーを連発していた時期。九州に戻り弟子入りの話をしたところで、周りが誰も信じてくれず相手にされなかった訳です。
高校卒業と同時に再び弟子入り志願のために単身上京し、先生の門をたたくも門前払いの毎日でした。その時既に先生には、歌・作曲・ギター・マンドリン等、あらゆるジャンルの現役のお弟子さんが300人以上いましたので、お合いすることすら叶いません。数か月後、僕の熱意が通じ、ようやく入門を許可され、数多いお弟子さんの中から直接先生の指導を受ける事になるのです。デビュー直前には内弟子となり、一番大切な歌への姿勢や人との接し方を身近で学ばせて頂き、人間としても鍛えられました」
――大ヒット曲「さざんかの宿」
デビュー曲「目ン無い千鳥」は、TBSが再ドラマ化した悲恋物語の挿入歌。この曲がリバイバルヒットとなったのを機に、20代の頃は地道に古賀メロディを歌い続けたと言う。地味ながらも着実にファン層を広げ、実力を積んでいったのだった。
「『さざんかの宿』がリリースされたのは、1982年の夏、33歳の時でした。歌謡界は華やかな若者の曲が全盛期で、演歌はほとんど下火…。そんな時代にこの曲はヒットしたのです。作詞家である吉岡治先生が手がけた『都はるみさん』の曲に感動した僕が、直接お願いして出来上がった歌です。当時では珍しい『不倫』がテーマの曲。短い言葉の中に、男性の儚い思いが往き来する何ともやるせない曲でした。
時期を同じくして、テレビドラマの「金曜日の妻たちへ」が高視聴率。世間がこの歌詞を受け入れてくれるタイミングだったのでしょう。時代が僕に味方してくれたのだと思います。思うに、人生は巡り合わせの連続です。歌を通して師匠と出会い、33歳にして丁度大人の男の恋愛の歌に出会う。演歌不振の時代にもかかわらず、全てのタイミングが合致して大ヒットとなった曲なのです」
――何事にもチャレンジ
演歌人生スタート以来、年2回のペースで新曲を発表し続けていると言う。また、何事にも挑戦するスタンスの彼は、小椋佳企画・原作の「一休禅師」の一生を描いた異色ミュージカルで主役も演じた。ペンネーム「筑紫竜平」の名で作曲家として勢力的に活動もしており、つい最近では作詞にもチャレンジし、多方面での才能を発揮している。
「熟年世代の皆さんは、とてもカラオケ好きです。ただ歌うだけではなく、皆さんの前で発表したいという気持ちを持っています。華やかな舞台で歌い、自己の存在を確認したいしされたい、というところでしょうか…。そんな事を踏まえ、4年前から歌謡塾を始めました。皆さんが歌いたい曲を知る事は、自分にとってもプラスになりますし、一緒に勉強している感じです。現在のステージにも大変役に立っています。この長寿社会の中で、健康で過ごす事は何よりです。僕も皆様と同じ団塊世代ですので、何事も無理なく自分にストレスをかけないよう心がけています。程よいペースで、今出来ることを繰り返す事が充実に繋がります。また、人付き合いはとても大事ですから、色んな方と交流する場を見つけて下さい! 特に男性の方には声を大にしてお伝えしたいですね」
 こぶしをきかせて演歌を歌う時の声とは全く違い、静かに淡々とお話しする姿から、彼の誠実なお人柄が感じられました。故郷・大川市への想いが伝わり、温かい気持ちになる思いでした。

2019年10月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)