アグネス・チャンさん

 愛くるしいルックスとたどたどしい日本語で「♪オッカノウエ〜ヒナゲシノハナデ〜」と歌う姿が脳裏に焼き付いている熟年世代の方が多いのでは…。芸能界で知性派タレントとして活躍する一方、文化人として多彩な肩書を持ち、世界を舞台に活躍するアグネス・チャンさん。そんな彼女の素顔に迫った。
朝を迎えるたびに、「今日が誕生日」と思うと 生まれたての気持ちでハッピーでいられます
Profile
1955年8月生まれ 香港出身
1972年、「ひなげしの花」で日本で歌手デビューをし、一躍人気アイドルとなる。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。89年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。94年、教育博士号取得。日本ユニセフ協会大使、日本対がん協会「ほほえみ大使」、香港バプテスト大学特別教授を務める。「スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法」など、作家としての地位も高める。芸能界のみならず文化人として幅広く活動している。
――作曲家 故・平尾昌晃氏に見いだされて
日本でデビューする前、既に香港で「アグネス・チャンショー」というテレビ番組を持っていた。これに偶然出演した平尾昌晃氏の目に止ま
り、後に熱烈なスカウトを受ける事となる。まだ17歳、日本語も全く話せなかったが、家族の後押しもあり日本での歌手デビューを決断。デビュー曲「ひなげしの花」がいきなり大ヒットし、トップアイドルとして突っ走るのだった。
「一番苦労したのは言葉です。当時は日本語をローマ字にして、歌詞の意味も分からないまま丸暗記で歌っていました。カンペや口パクも無い時代でしたので、歌番組で他の曲を歌うのは、特に大変でした。他の方の3倍以上練習に時間をかけていましたね。勿論学校も通っていたので、忙しすぎて眠る時間も無いまま、その日の仕事をこなすのに必死です。思春期に普通に送るべき生活が何一つできませんでしたね」
――父親の言葉を信じて大学進学を決意
「当時は香港と日本とを行き来する日々で、時間との戦いでした。デビュー以来、あまりにも忙しく余裕がない私の様子を心配した父が『お金や名声は一時。でも、一度学んだ知識は一生。だから学べるうちに有り難く勉強しなさい』と、大学進学を提案してくれました。母は反対でしたが、父の説得力ある言葉で、一旦引退を決意したのです。もともと子供が大好きで、ボランティア活動を通じて子供達と接する機会が多くありました。その中で心の病気がある子と出会いましたが、どのように接していいか分かりません。もっと子供の心に深く入り込みたい! それにはただ好きなだけじゃ駄目なんだ! 子供の心を理解するために専門の知識を学びたいと思い、大学では児童心理学を迷わず選びました」
カナダのトロント大学に留学し、社会児童心理学を専攻した。卒業と同時に母親の念願を叶えるべく、芸能界にも復帰。結婚・出産を経て、再び米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学し、博士号を取得。自らの努力で夢を叶えていくための基盤を築いていった。
――芸能活動と社会貢献の2本立てで躍動
「仕事やボランティア活動を通して、子供達と交流の場が広がっていきました。24時間テレビのパーソナリティとしてエチオピアを訪問の際、多くの子供たちが飢餓で倒れて死んでいく姿を目の当たりにし、言葉を失いました。これを機に人生観が変わり、より熱心に活動に取り組むようになったのです。芸能活動を止め、ボランティア一本だけでやっていきたい…と葛藤していた時期、運良く萩本欽一さんと話をする機会に恵まれました。『一生懸命仕事をやるからこそ、ボランティア活動に人が振り向いてくれるのです。今以上に素晴らしい仕事をして下さい』とアドバイスを受け、第一線で働くからこそ影響力もあるのだと気付きました。その言葉のおかげで、バランス良く仕事とボランティアの2本立てで頑張れるようになりました。現在では芸能界で築いた人間関係やマスメディアに出るチャンスを生かし、私なりのやり方で活動中です。日本ユニセフ協会大使に就任してからは、アジアやアフリカなど沢山の国々に行き、『児童ポルノ』や『子供のエイズ』などの問題に取り組んでいます」
――今日を精一杯生きる
「教育学の博士になり子育ても経験し、若い親や先生方に助言できる立場になりました。子供を競争ばかりの世の中から解放させてあげたいし、緊張している若い親に自信を持って子育てしてほしいと願っています」
自らの乳がん体験から全国で開催されている、「ピンクリボン運動」にも積極的に参加し、「ほほえみ大使」としても健診の大切さを広く
伝えている。
「病気を経験してからは、出会いを大切にして、明日死んだとしても後悔しない人生を送ろう…、という気持ちで生きています。歌手、テレビパーソナリティ、ユニセフ大使、教育アドバイザーなど、目の前に来た仕事を一生懸命こなしていくと、次のステップが現れる、という体験を繰り返しています。この次に何がやってくるのかわかりませんが、川の流れのように自然に…。次の役目がやってくれば、受ける事になると思います」
 3人の息子さんは共に名門スタンフォード大学に進学し、その教育法が話題となった。「教育は親が子どもにあげられる最高の贈り物」という自書の一節から、厳しくも愛情たっぷりに子育てに励んだのだと想像できる。アイドル時代と変わらない愛くるしい笑顔に、心も和む時間だった。

2019年12月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)