おりも政夫さん

今や芸能界の一大勢力のジャニーズ。若いイケメン男子を「ジャニーズ系」と呼ぶことも定着している。おりも政夫さんは、ジャニーズ事務所兼合宿所当初からの元祖ジャニーズだ。フォーリーブスの一員としてアイドルの先駆者だった彼が、アイドル時代~解散・ソロ活動~再結成など当時を振り返り、時代背景を交えながら語ってくれた。

ジャニーさんの「Youいいね!」は魔法の言葉。
信じて付いていけました。

ジャニーさんとの出会い

東京下町のわんぱく少年だった。母親の意の下、小学校入学と同時に「劇団若草」に所属し、日曜日は芝居や踊りの稽古をし、子役として芸能活動を始めていた。ある日、友達に誘われ遊びに行ったジャニーズ事務所で、偶然に居合わせたジャニー喜多川さんと運命的な出会いをする事になる。「YOUもやってみない?」と、目があった瞬間にいきなり声をかけられた。まだ12歳のおりも少年は、考える間もなくジャニーズの所属タレントとなった。
「事務所に入団した当時、あおい輝彦さんらがメンバーの『ジャニーズ』の解散が決まっていて、後に続く若い男の子4人を探していたのです。僕らは、ジャニーズ最後の曲『太陽のあいつ』のバックダンサーで、ジャニーズジュニアとしてスタート。日劇でのウエスタンカーニバルに初出演のミュージカル『いつかどこかで』のサブタイトル『フォーリーブス物語』から『フォーリーブス』と名付けられたのです」

グループ解散、ソロ活動に

「僕達はまだ若かったので、野心も生まれ、個々の可能性を試してみたくなり、『解散』をする事になるのです。僕はハナ肇さんが言った、『クレージーキャッツは解散してないけれど、個々に活躍できているじゃあないか』という言葉が響き、最後まで反対でしたが、個々にステップアップする為には必要な道と、『フォーリーブス』の名を捨て、それぞれの道でチャレンジする決断となるのです」
ソロ活動になってからの彼の活躍は、ご存じの通り。多くのアイドルが出演する恒例の水泳大会や歌番組の司会をはじめ、旅番組やグルメレポーターとして、活躍していった。
「グルメ番組のレポーターは、特に楽しかったですね。『さすらいの食いしん坊』は、食レポの走り。沖縄~北海道と日本全国に行きました。当時は、一件の店で3、4時間、仕切り無しに食べ続けなければならなかったですね。後に聞いたところ、好き嫌いが無く大食漢である事、昼の一時からの放送なので主婦層に受けいれられる事、口元がキレイな事(笑)…などの理由で僕が選ばれたようです」

再結成…、そして仲間の死

「24年の時を経てそれぞれの幹を育てた後、僕らは再結成するのです。再結成後は、家族の様に共に行動をしました。稽古が終わる度に呑みに行き、コンサート会場でも、ファンと一緒に皆で店を貸し切って打ち上げをしました。ファンの皆さんも調度子育てから解放され、自分の時間やお金の余裕もできた抜群のタイミングだったのでしょう。心は当時のまま、乙女に戻ったかのようにはしゃいで、エネルギーに満ち溢れていましたね」
その7年後、再結成を一番に喜んでいた青山孝が、肝がんを患い57歳という若さでこの世を去った。
「彼は余命3か月と宣告されてからも、最終コンサートまで全て出演。やりきる姿を最後迄見届けました。代々木斎場には3000人以上のファンが押し寄せ、当に花道を見ているようでした。暫くは、心にぽっかり穴が開いたようでしたね」
心の空白を埋める間もなく数年後に、奇しくも同じ病気で北公次が逝く。現在、江木俊夫と二人となったが、自身のライブでは4人で踊っている『フォーリーブスソング』の画像を流す場面もあると言う。時代を駆け抜けた仲間と共に、躍動感溢れるステージを繰り広げている。

勇気と元気を与え続けたい

「教養と教育ならぬ、『今日ヨウと今日イク』という面白い言葉があるのですが、今日行く所と今日用事がある事が大切、という意味です。目的をもって出かける、チャレンジする気持ちを持ち続ける、それが若さの秘訣。僕が今活動している『夢コンサート』や『うたごえ時代』が、今日行くところの一つになってくれると嬉しく思います。僕自身が歌で沢山の元気を与えられてきた来たからこそ、ステージから沢山の勇気と元気を与えていきたいです」

還暦を機に取り組んでいるのは歌謡イベント「うたごえ時代」。昭和歌謡の名曲を共に歌う、会場が一体化する参加型のコンサートだ。ファンを喜ばせる事を第一に考えるジャニーさんの教えを引き継ぎ、今後も数々のエンターテイメントショーで、私たちを楽しませてくれることだろう。

(聞き手 高橋 牧子 編集長 山本 英二)

Profile おりも政夫(おりも まさお)
1953年7月4日日生まれ 江東区出身
初期のジャニーズ事務所を代表するグループの一員で、1967年、北公次、江木俊夫、青山孝と共にフォーリーブスを結成。70年にはブロマイドの売り上げ、男性部門1位となり、70年代前半のトップアイドルに君臨。7年連続でNHK紅白歌合戦に出場。解散後は、司会業やレポーターとして第一線で活躍。現在は、参加型イベント「うたごえ時代」コンサートをプロデュースするなど、才能を発揮し精力的に活動中。