宇崎竜童さん

白いつなぎでリーゼント姿が衝撃的だった「ダウンタウンブギウギバンド」。「アンタ、あの娘の何なのさ」のコミカルなセリフは、多くの人の耳に焼き付き当時の流行語となった。公私に渡るパートナー、阿木燿子との名コンビで、伝説のアイドル、山口百恵に「横須賀ストーリー」「プレイバックPart2」などの楽曲を提供し、彼女の黄金時代を支えた。歌手・作曲家・俳優と三つの顔を持ち、第一線で活躍し続ける宇崎竜童さんに、最新出演映画の話題を交えお話を伺った。

 

「自分らしい死に方とは、自分らしい生き方の事
最期は大勢の人に看取ってもらいたいね」

即興演奏での絶賛を機に曲作りに没頭

初めて音楽に触れたのは小学3年生の頃。洋楽、特に映画音楽やFENは、心ときめかせて聴き入っていた。中学2年から高校時代まで、ブラスバンド部でトランペットを吹いていた彼は、その頃すでにトランペット曲を作っていたと言う。
「大学入学と同時に、先輩に引きずられるように入部したのが軽音楽部。部の先輩達に言われるがままにトランペットで吹いた『ダウン・バイ・ザ・リバーサイド』のアドリブが大絶賛され、大学のクラブバンドで、早くも1年でレギュラーメンバーに大抜擢されたのです。あちこちのステージで演奏をしているうちに「歌を作りたい」と思うようになりました。エレキギターを独学で練習し、1日1曲歌作りに専念していました。大学在学中は、音楽に明け暮れていましたね」

見知らぬ村の見知らぬ子供が口ずさむ歌を作りたい

バンドデビューはするつもりはなかった。が、自身が作った音楽会社の所属バンドを売り込む為のコンベンションで、たまたま彼が歌ったオリジナル曲がレコード会社の目に止まり、バンドデビューのオファーがきたのだ。そこで、急遽結成されたのが、「ダウンタウンブギウギバンド」。「スモーキン・ブギ」の大ヒットで注目され、作曲の依頼も来るようになった。後にレコード大賞の作曲賞を受賞した事で、作曲家「宇崎竜童」として認められるようになったのだった。奥様の阿木燿子とのコンビで、伝説のアイドル「山口百恵」にセンセーショナルなヒット曲を連発させたのは言うまでもない。
「今まで何千曲も作ってきたので、僕の歌は今でもCMに使われたりカバーもされていて、日本のどこかで流れています。でも、昔、電気も何も無い赤道直下の村で、見知らぬ子どもが『スタンド・バイ・ミー』を口ずさんでいるのを聴いて衝撃を受けました。自分はまだそんな曲は作れていない…。何十年か先、世界の中の見知らぬ村の見知らぬ子供が自然に口ずさんでいる…、そんな1曲を残すことが、今の究極の目標です」

「在宅医療」をテーマにした映画に出演

最新出演映画、「痛くない死に方」は、在宅医療の現場で実際に活躍している医師、長尾和宏著のベストセラー「痛くない死に方」「痛い在宅医」を原作に、高橋伴明監督が完全映画化した。在宅医と患者とその家族の物語で、彼は、末期がんの在宅患者という重要な役どころを演じている。味のある演技で観る人を引きこませ、当事者として考えさせられるシーンも多い。いつかは誰しもが訪れる『最期』を、終末の伴走者とどう向き合って関われるのか…、死を目前にした時の選択を自分らしく生きるために何を最も大切にしたいのか…と、この映画は問いかける。
「初めて臨終のシーンまで演じたんですが、役作りには全く苦労しませんでした。40年以上の友人で、義理人情の深い高橋伴明監督のキャラクターを僕のフィルターを通して伝えただけです。僕はただセリフを発すればその役ができ上がっているほど、脚本が素晴らしかったです。病床の中、イキでユーモアあふれる川柳を詠むシーンがあるのですが、あの五・七・五の中に、彼の隠れた姿が見えるようでした」

自分らしい「死に方」=「生き方」

「最期の臨終シーンで、在宅医役の柄本佑君の『何時何分ご臨終です』という言葉を目を閉じたまま聞いたのは、ある意味一つの凄い体験です。カメラマンや若いスタッフに見守られる中で『最期は大勢の人に看取ってもらいたい』と強く感じました。仲間たちが棺を担いで唄いながら参列者の間を通って行く場面は、最高に美しいシーンです。本作のテーマは「死に方」ですが、「死に方」は同時に「生き方(暮らし方)」です。ここ最近は密葬が多いですし、ましてやコロナの中、遺族も骨としか対面できない思いもよらない事態が起っています。が、僕の葬式は生演奏の中、多くの家族や友人に見送られて火葬まで連れて行ってもらいたい。この映画を観て、もう一度自分の最期の理想の選択を考えてほしいと思います」

「わがままに生きて来たので、やりたいことは全てやった」と、きっぱりと言い切る彼。同年代の団塊世代にとって、リーゼントにサングラス姿のロックンローラーのバンド時代から、作曲家・俳優としての才能を開花させ華麗に歳を重ねてきた彼は、理想的で憧れに違いない。自分を貫いてきた生き方に、内に秘めたエネルギーを感じた。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

 

Profile 宇崎 竜童(うざき りゅうどう)
1946年2月京都府生まれ。1973年ダウンダウンブギウギバンドを結成し、レコードデビュー。4枚目のシングル「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のロックンロールな曲調がウケ、大ヒット。若者を中心に人気を得る。作曲家としては、阿木燿子とのコンビで多くの楽曲を提供し、名前を不動のものとする。映画、舞台音楽の製作の他、俳優としても才能を発揮。2月20日より、出演映画「痛くない死に方」ロードショー公開。