スペシャルインタビュー 赤井英和さん

ボクシングを知らない熟年世代の方も、「浪速のロッキー」と言えばピンとくるほど愛されたスターボクサー、赤井英和さん。引退後は、そのキャラクターを生かし、俳優として大成功。今や映画やCMに引っ張りだこだ。大阪新世界を舞台に繰り広げられる最新出演の人情映画『ねばぎば 新世界』の話題を交え、お話をしていただいた。

「ボクシング」も「人生」も挫折からはい上がる

「ネバーギヴアップ! 」

けんかは友だちをつくるためのコミュニケーション

小学校時代は越境入学で、全学年を通して学級委員をしていた赤井英和さん。彼が喧嘩をするようになったのは、中学生になってからの事だと言う。
「中学入学の時に、同じ小学校から来たのは自分一人。周りは誰も知らない子ばかりの中で、どうしたら友達をつくれるのか…、と考えた結果が喧嘩をする事。入学式の日にちょっと生意気そうなやつがいて、そいつとドツキ合いをした事で一気に注目が集まりまして…。けんかデビューの始まりです(笑)。腕っぷしにはかなり自信があったので、そのうち『赤井というのには気を付けないとあかんぞ』と思惑通りの噂が広がりましたね。
小学校5年から警察署の少年柔道教室に通い、当時人気の『柔道一直線』を見て『柔道は最強や』と思い、中学では柔道部に入部しました。同時期にカンフー映画『燃えよ!ドラゴン』の影響で『カンフーは世界一や』と、空手道場にも通うようになりました。ボクシングとの出合いは、高校になってからです」

無名の赤井選手、オリンピック候補選手に圧勝

「高校受験をした日、その高校のボクシング部の先輩に言われるがまま、ボクシング道場に通う羽目になるのです。入部後は、マウスピースを洗ったり先輩のマッサージと、雑用係をずっとしていました。ところが、1年の夏にいきなり『三重国体のフェザー級の予選に出ろ !』と言われたのです。尻込みした僕に、『簡単なもんや。噛んだらいかん、蹴ったらいかん、頭突はあかん、ドツケ !』と返ってきて、ボクシングを知らぬまま試合に出る事に…。高校生の試合は2分3ラウンドですが、試合当日、この6分間を戦った後は手も上がらなくなる程の疲労感で、『こんなに自分を縛り出すスポーツは初めてだ! 』と今までにない充実感だったのです。この年の三重国体で大阪代表になれた事で、ボクシングは続けていました。翌2年の時、青森国体での対戦相手に、2年連続高校チャンピオンでモスクワオリンピック候補と言われている名選手がいて、『僕がその選手を倒したらオリンピック選手になるんちゃうか! 』と、本気でボクシングをする覚悟が固まった訳です。青森国体では、リングサイドも勝てるわけがないと思っていた絶対王者に大阪代表の無名選手の僕が圧勝し、『ボクシングマガジン』に名前が載りましてね…。それが無茶苦茶嬉しくて、今でも実家にとってあります。この時の勝利で火が付いて、一気にボクシングにのめり込んでいったのです」

強打の英雄「浪速のロッキー」

高校3年でライトウエルター級インターハイ、アジアジュニアアマチュア選手権優勝という実績を引っ提げて、ボクシングの名門近畿大学に進学。モスクワオリンピック候補となるが、日本代表の出場辞退でオリンピック出場の夢が断たれた。その後、学生プロボクサーに転向し、新たな目標に向かっていった。
「会長と僕しかいない小さなジムで、二人三脚でプロとしてスタートをし、世界戦を目指しました。マスコミの注目を集めるために、あえて自分のボクシングスタイルを攻撃型に変え、その試合スタイルから『浪速のロッキー』という愛称が付きました。当時の映画『ロッキー』のブームもあり、新聞やマスコミにこの名前を随分取り上げて貰いました」
プロデビュー後、KO勝利で連勝を重ね、プロ4戦目でジュニアウエルター級全日本新人王を獲得。デビュー以来12試合連続KO勝ちという、当時の日本記録を打ち立てた。その人気と注目度からノンタイトル戦ながらも試合がTV中継されるなど、瞬く間にスターボクサーとなっていった。

世界タイトル挑戦目前でKO負け
180度変わった人生

世界を目指すべくリングに立ち続けた彼だが、2度目の世界タイトル前哨戦でKO負けを喫し、意識不明に陥る事になる。急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断され生死を彷徨う重傷を負い、引退を余儀なくさせられた。
「今までのアマチュア戦、プロ戦のどんな試合も全て覚えているのですが、あの試合だけは1ラウンドのゴングの瞬間から記憶が全くありません。後遺症は残らなかったものの、ボクサーとしては致命的で、復活は諦めざるを得なかったです。15歳から始めたボクシングが無くなり、何もない生活の中で酒ばっかり飲んでいた時期もありました。
退院して約半年後、母校、近畿大学ボクシング部のコーチに就任する話が持ち上がり、『自分が学んだボクシング技術を皆に伝えていく事が恩返しでもあり天職』と考え、母校で3年間、後輩達にボクシングの素晴らしさを伝えていきました」
後に、高校の先輩でもあり可愛がってもらっていた笑福亭鶴瓶氏から、予想だにしない『自分の半生を本にして出版する』という話が舞い込む事になる。1988年、自叙伝『どついたるねん』が出版され、映画化が決定。赤井英和役を自らが演じ、俳優『赤井英和』が誕生した。俳優としての活躍はご存じの通りで、テレビドラマでも記憶に残る役どころを演じている。又、その愛されるキャラクターから、日清食品やRIZAPなど、CMにも多数登場している。

自分を投影させた最新主演映画『ねばぎば 新世界』

大阪新世界を舞台に、かつての大映映画、勝新太郎・田宮二郎の「悪名シリーズ」を彷彿とさせる「ねばぎば 新世界」が7月に公開される。
「昭和の世界観の中、人間味溢れる個性と今も残る浪速の人情を織り交ぜた、痛快アクションものです。社会の『善と悪』『裏と表』の巨大な力に、二人だけで立ち向かっていく、スカッとした気持ちになれる映画になっています。監督が当て書きして下さり大変共感できる役で、一言一言のセリフは口から発するのでなく腹の底、心から発しています。熱い思いが詰まった昭和の懐かしさの中で、大阪新世界にしかない空気を感じてほしいと思います」

彼がいつも台詞を覚えるために、脚本を直筆で書き出しているというノートをマネージャーさんである奥様が私達に見せてくれた。芝居に真摯に向き合う彼と、夫婦二人三脚で今を積み上げてきているのだろう。今年、プロボクサーとしてデビューする息子さんを応援したい! と父親の顔を覗かせた言葉から、円満な家族像を感じ、温かな気持ちになった。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile 赤井英和(あかいひでかず)1959年8月17日生 大阪市出身
高校入学と同時にボクシングを始め、インターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権で優勝を飾る。大学進学後、モスクワオリンピックの有力候補となるも、日本代表の出場ボイコットが決まり、学生プロボクサーに転向。「浪速のロッキー」と異名をとる活躍で注目を集める。1985年、世界タイトルを賭けた前哨戦で敗北、ボクサーを引退する。俳優に転身後、1989年の自伝映画「どついたるねん」で主役デビューを果たし、キネマ旬報賞新人賞を受賞。1994年、日本アカデミー賞優秀主演男優賞、2000年、優秀助演男優賞を受賞するなど役者として高い評価を受け、現在も映画・テレビ・舞台・CMなどで幅広く活動中。


ねばぎば 新世界

2020年 ニース国際映画際 外国映画部門最優秀作品賞【グランプリ】
最優秀脚本賞 上西雄大
2021年  WICA(ワールド・インディペンデント・シネマ・アワード)
外国映画部門 最優秀主演男優賞 赤井英和・上西雄大
2021年7月10日(土)より全国順次公開
新宿K’s cinema 03-3352-2471 各回入替 整理券制
公式サイトhttps://nebagiba-shinsekai.com/
上西雄大監督 出演:赤井英和 上西雄大 西岡德馬(特別出演)