スペシャルインタビュー 麻丘めぐみさん

清楚な顔立ちでお姫様カットがトレードマーク。「♪わたしの彼は~左きき~♪」と可憐に歌い、世の中に左利きブームを巻き起こした麻丘めぐみさん。70年代初頭のアイドル創世記を築いた彼女が、時代背景を交えた当時の様子から復帰後の活動を等身大で語ってくれた。

今後も進化していく日本を見届けたいですね。
そのためにも元気で長生きしないと!

姉の夢を叶えるため、母親と共に上京

劇団で活動をしていた4歳年上のお姉さんの影響で、芸能の世界へ足を踏み入れた幼い少女。3歳の時には既に子役で初舞台を踏むなど、物心がついた頃には、芸能界でCMや広告モデルの仕事をするのが当たり前の生活になっていた。
「歌手を目指していた姉の夢を叶えるため、姉をサポートする母と一緒に小学5年生の時に大阪から上京しました。姉は演歌からオペラ、カンツォーネまで何でも歌える実力のある人。母も私も姉がスターになるのを夢見て応援していました。幼いながらも姉の力になりたいと、東京の事務所でモデルの仕事を続け、中学の頃は『週刊セブンティーン』の専属モデルをして家計を助けていたのです。その頃、姉の所属するレコード会社の方から『歌手をやってみないか』という誘いの言葉を頂きました。歌手デビューをしても下積みが続き、芸名を何度変えても売れない姉の姿を見ていましたので、歌謡界には全く興味を持てませんでした。でも、この誘いを断ってしまったら、歌手を目指している姉に悪い影響が出るのでは…、と、断りきれない中、1曲だけのつもりでレコードデビューをする事になったのです」

アイドルの先駆者ゆえの苦悩

まだ未成年だった彼女は、自分の知らない中で、歌手「麻丘めぐみ」として全ての流れが決まっていく事で、大人への不信感が募るような体験もした。
「レコーディング前の3か月間は、歌のレッスンを受けるのを条件に決断しましたが、契約の1ヶ月後にはもうデビュー曲が決まっていて、速、レコーディング。自分の意見や希望などは何一つ聞いてもらえず、大人の事情の中で物事がどんどん進んでいきました。憤りを感じる出来事が度々ありましたね。
『芽ばえ』で最優秀新人賞を頂いた時、『この賞は私じゃあなく姉だったらよかったのに…』と、悔し涙が出ました。『わたしの彼は左きき』を歌っていた頃でさえ、歌っている自分に自信が持てなく、人前で歌う事やファンの皆様に申し訳ない気持ちでした。現場はスターを目指して厳しいオーディションを勝ち抜いてきたいわゆるオーディション組と、私や浅田美代子さん、南沙織さんのように、訳も分からないうちに突然この場所に立ってしまっているスカウト組に分かれていて、私達3人はこの空気に馴染めずにいました。周りはライバル意識が高く風当たりも強い中、楽屋が一番怖かったですね。当時、アイドルは別世界の主人公で、『外に出てはいけない、男の人と口をきいてはいけない』など、今では信じられないほど拘束が厳しく、逆らえない環境でした。『このままじゃあ、人間らしく生きられない!』と、3人で本音を語り励まし合っていましたね」

女優として一からのスタート

結婚を機に21歳で引退したものの、6年後には家族を支えるために女優として復帰。幼い頃の舞台の経験から、「皆で作品を作り上げていく芝居の世界で自分は生きて行くしかない」と感じ、女優として一からのスタートを切った。
「当時、ドラマで知り合った小劇場の佐藤B作さんや東京乾電池の方々から感銘を受け、『台本のある世界ではなく、ゼロから芝居を作っていきたい』という思いが膨らみました。40代は色々と勉強する時期で、後輩の役者さんから小劇団での公演芝居の相談を受けた事がきっかけで、演出をする機会に恵まれました。プロデュ―スから雑務まで何でもやり、お弁当の手配など裏方の経験をする事で、アイドル時代には知りえなかったスタッフさんの苦労も分かるようになったのです。当初は『演出なんて女優の気まぐれだろう』と言われもしましたが、やり続ける中で『めぐみちゃん、本当に芝居作りが好きなんだね』、とのスタッフさんの言葉はとても嬉しかったですね。
現在歌手デビューから50年、長い間この世界で活動してこれたのは、大変だったあの歌手時代があったからこそ…、と思えるようになりまた。楽曲に対する思いも変わってきましたね。今だに歌の仕事は緊張しますが、色んな経験をさせてもらった『歌』には、今、感謝しかありません」

等身大で人間らしく生きる

「60代になり98歳の母を見送り、娘としての役割も終えました。これからは、長いスパンでやるべき事を考えるのではなく、今日、そして明日は何をしようか、一週間で何が出来るだろうか…、と思うようになりました。何をやるにしても、誰かに我慢をさせたり自分も無理をするのは一切止めようと思っています。人との御縁、人と人との巡りあわせを大切に生きていきたいですね。
長年応援して下さった『初代麻丘めぐみ』に恋をしているファンの皆様に、現在の等身大の『2代目麻丘めぐみ』を応援したいと思って頂けるよう頑張ります。年齢を重ねることを受け入れると、楽しく歳を重ねられると思います」

「これからどんどん進化する東京を、日本を観てみたいじゃあないですか!観なきゃあ損です!」と、屈託なく語る彼女。合間に覗かせる笑顔は、トップアイドル当時さながらの爽やかさでした。現在のライフスタイルに合わせ、彼女自身がどんどん進化して、私達を楽しませてくれることでしょう。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile 麻丘 めぐみ (あさおか めぐみ) 1955年10月11日生まれ 大分県生ま 大阪府育ち
3歳から子役、CMモデルとして活躍。1972年「芽ばえ」でレコードデビュー。同年、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後もヒットをとばし、73年「わたしの彼は左きき」の大ヒットで数々の賞を受賞。世間に“左きき”ブームを巻き起こした。NHK紅白歌合戦初出場を果たし、70年代を代表する人気アイドルとなるが、21歳で結婚を機に引退。83年、芸能界復帰後は女優として舞台、テレビ、バラエティーに出演。2020年、初の自選ベストアルバム『Premium BEST』をリリースし、29年ぶりの新曲「フォーエバー・スマイル」を収録。本格的に歌手活動を再開。