山田邦子さん

 伝説のバスガイドネタのギャグが大ブレイク、『ぶりっ子』という流行語を生みだした山田邦子さん。数多くのバラエティ番組で圧倒的な人気を誇り、「天下を取った唯一の女芸人」と称され、NHK「好きなタレント調査」では1988年から8年連続で1位を独占した。
 2007年『たけしの本当は怖い家庭の医学』の出演を機に、乳がん罹患が発覚。これが転機となり、タレント業の傍らピンクリボン運動などで新たな活躍の場が増え、今なお多くのファンの心を掴んでいる。そんな彼女の素顔に迫るインタビューをお届けする。
神様からいただいた私の最大の宝物は『人』
Profile 山田邦子(やまだくにこ)1960年6月13日生まれ 東京都板橋区出身
 学生時代からずば抜けたバラエティの才能を発揮し、素人参加型番組の常連で有名となる。1981年から太田プロダクションに所属し、女優デビューと同時期に『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)』でレコードデビュー。『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』『邦子がタッチ』など自身の名前の入った冠番組を持ち、タレント・司会・執筆家としても活躍の場を広げ、好感度タレントの代名詞となる。現在はタレント活動以外にも、自身の乳がん罹患経験から「乳がん早期発見のための公演活動」を積極的に行うなど、日々奔走中。
――女の園の主!? だった学生時代
「お嫁さん学校」と呼ばれる様なエスカレート式のお嬢様学校に、中学1年から転入した山田邦子さん。下町で男兄弟の中、のびのびと育った彼女が、入学後人生12年にして初の衝撃を受けたと言う。「女の園」では異端児のような彼女が、入学後あっという間に人気者になり、学級委員は勿論、学校イベントでは常に中心的な存在になった。学園内にファンクラブがあり、先生にも頼られるほどのしっかり者で、学校中の注目を集めていた。
 女生徒たちが可愛いらしいハンカチでお弁当を包んでくる中、母親には「新聞を読みなさい!」と、お弁当を新聞紙で包み、社説を読むように習慣づけられた。「辞書を開き言葉の面白さを考えるのが好き」という彼女。ボキャブラリー豊富な芸の基本は、こういうしっかりとした教育の基にあるのだろう。
「学生にもかかわらず、テレビの素人番組のオファーが一杯で毎週のようにテレビに出ていましたね。本当に超売れっ子で、隠し撮りやサイン攻めで、通学中は特別に学校に守ってもらっていた感じです。でも、芸を職業にするつもりは全くなかったので、父親の縁故で就職先を決め、制服を作り健康診断もし就職祝い迄頂きましたが…、一日も通わなかったです。プロデューサーのあまりの熱心な誘いに『私って才能があるのかもしれない』と勘違いしてしまい、そこからもう37年も経ってしまいました」
――お笑い街道まっしぐら
「ネタ作りでは、小さな子供からお年寄りまでがわかる事を常に考えています。ターゲットは特に決めなく、万人受けする事を意識します。当時、エレベーターガールやバスガイドだったら誰でも知っているだろう…、という発想から生まれたのがお馴染みのバスガイドネタ。学生時代からの持ちネタです。まだ、携帯電話やネットも普及してなかったので、ネタを絞り込みやすかったのかもしれません」
 プロとして芸能活動を始めて間もまく「オレたちひょうきん族」のレギュラーとなり「ひょうきん絵描き歌」のコーナーが大ヒット。お笑いブームの真っただ中、コントやものまねで才能を発揮し、マルチタレントの走りとなった。
「当時は勢いが物凄く、それはもう刺激的でしたね。科学者の方とか有名な音楽家の方など、ビックリするような世界中の他ジャンルの方にお会いできるのです。寝る時間はなかったのですが毎日がワクワクでしたね」
――病気は神様からのプレゼント
 一時代を築いた彼女だが、11年前のテレビ収録がきっかけで「乳がん」が発覚し、転機となった。
 乳がんであることを公表し、手術に成功。翌年には、自らの体験をまとめた著書『大丈夫だよ!がんばろう』を出版している。
「病気にはならない方が勿論よいけれど、なったおかげで得た物も沢山あります。私のがんは、幸いにもステージ1でした。がんは初動がとても肝心です。それと先生との相性が大切。明るく朗らかでいると免疫力も上がるので早く良くなりますよ。〝簡単です! ニコニコしているだけ! タダです!〟両親にこんなふうに明るく育ててもらった事に感謝してます。『がんは本来死ぬ病気ではなく怖い病気でもない』その事を皆さんに発信していくのが私の使命なのだと感じています。今はネタ作りの合間に『がんの早期発見治療』の大切さを伝えるため全国を忙しく飛び回っています。ピン芸なので、誰とも交わらないで何でも一人でやっていく人生なのだと思っていましたが、病気後は、人とやけに関わっていくように代わりました。人生ってバランス良くできているもの。これは病気のおかげです。神様からのプレゼントです」
――生きることに全力投球
 「私は、タフで行動範囲が広いですね。仕事のスケジュールの空きを見つけ、月1・2回は東京湾や駿河湾に釣りに行きます。近くに海辺のある地方の仕事先では、早朝に釣り船を出してもらったり…。先日マグロを釣りましたよ。美味しいお魚が食べたいから釣るというのが私のスタンスです。趣味でスイカ作りにもハマっています。新潟でスイカ作りのプロに習い500玉位収穫できました。『クニコ』という名前のスイカは、採れた瞬間に完売です。そのお金をがん支援団体に寄付していますし、大空の下、土いじりができる農業は、私にとって憧れでもありリフレッシュできる時間です」
――熟年ばんざい読書の皆様へ
 「有り難い事に、私の周りには素敵な先輩が沢山いらっしゃいます。ビックリするような年齢の方でもイキイキとしていて、私自身、歳を重ねていく事が輝いて楽しみに思えるんです。私は何よりの『人』に恵まれて生かされました。健康は大切です。お金もやや大切です。でもやはり何よりも『人』ですね。お友達が一人か二人いるだけで、人の人生は華やかになるはずです」

 時折『エッヘッヘッ』と声高らかに笑う屈託のない笑顔に親しみを感じ、つい引き込まれていきました。将来の夢は自分の小屋(劇場)を持つ事だそう。口に出すことで夢が叶いますよね。今後のご活躍にますます期待が膨らみます。

2018年12月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)