埼玉西武ライオンズ 辻 発彦監督

開幕8連勝のスタートダッシュ! 4月19日現在、首位を走る我らが「埼玉西武ライオンズ」。メットライフドームでは、今年も熟年世代に嬉しいお得なチケット「ぷらっと割」の実施が決まり、手軽に観戦することができる。今回はライオンズを率いる頼もしいリーダー、辻発彦監督へのインタビューだ。
球場に足を運んで、ドキドキ・ワクワクして欲しい
Profile 辻発彦(つじ・はつひこ) 1958年生まれ。佐賀県小城市出身。
県立佐賀東高から日本通運を経て、84年ドラフト2位で西武入団。ゴールデングラブ賞を二塁手で歴代最多の8度受賞した。93年に首位打者、96年にヤクルトに移籍し99年現役引退。引退後はヤクルト、横浜(現DeNA)でコーチを務め、中日では二軍監督・コーチ、2006年の第1回WBCでは内野守備走塁コーチ。2017年埼玉西武ライオンズ監督に就任。
――子供の頃から野球に夢中
学校の休み時間、放課後と級友たちと暇さえあれば野球をしていた。父親は熱心な「西鉄ライオンズ」ファン。応援のため、福岡の平和台球場まで一緒に何度も通った。「当時、男の子の遊びと言えば野球。友達が集まれば2チームに別れ、野球をしていました」中学校を卒業した時点では身長が162㎝足らずと小柄で高校での硬式野球をあきらめようとも思ったが、佐賀東高校では身長は182㎝にまで伸びた。「3年で主将になって九州大会に出ました。当時は沖縄・豊見城の赤嶺賢勇、長崎・海星の酒井圭一、福岡・柳川商の久保康生らがいましたが、彼らとは別世界の地味な選手でした。東海大相模の原辰徳なんかスーパースター。招待試合で佐賀にも来たけど、キャーキャーと騒がれていましたね。当時、プロなんて夢のまた夢。親父が体を壊していたこともあり、大学で野球を、という状況ではありませんでした。ある人の紹介で、埼玉の日本通運にテスト生としてたまたま入社することができたのです」
――父親の強い思いでライオンズへ
日本通運では、走攻守揃った3塁手として、プロからも注目される存在になった。「腰を悪くしてしまい、ドラフトで指名してくれないよう新聞で宣言しました。しかし次のシーズン、筋肉を鍛えることで故障を克服することができ自信に。最後のチャンスでもあり、親父の強い願いもあって、ライオンズの指名を受けることができました。25歳、プロ選手としては遅いスタートです。九州男児の頑固親父でしたから私の前で喜ぶ姿を見せませんでしたが、親孝行できたと思っています」
――西武黄金期の中心選手として活躍
入団すると、広岡達朗監督直々に厳しいノックを受けたという。「厳しく指導されるのは、期待されているから。だから厳しくされるほど、嬉しかったですね。監督自らグラブさばき等お手本を見せてくれました」
2年目からは、二塁手に定着。森祇晶監督の下、ライオンズの黄金期を支え活躍した姿は、我々の記憶に新しいところ。3年目には、初めてのゴールデンクラブ賞とベストナインに選出。二塁手として歴代最多の8度のゴールデングラブ賞を受賞し、93年には首位打者にも輝いた。守備は日本プロ野球史上でも屈指のレベルと評され、野球を良く知る人ほど評価が高い。ライオンズ在籍12年間のうち、9回のリーグ優勝、6度の日本一を経験した。「野球はチーム競技です。石毛、秋山、清原、などチームメイトに恵まれました。本当に幸せな選手時代を過ごせたと思っています」
――監督としていきなり結果を出す
ヤクルトスワローズを経て引退後はヤクルト、横浜(現DeNA)、中日でコーチを務めた。そして去年古巣ライオンズに復帰し監督に。3年連続Bクラスに低迷していたチームを立て直し、リーグ2位に導き、結果を残した。「広岡達朗監督、森祇晶監督、野村克也監督、落合博満監督、そしてWBCでは王貞治監督と、球界を代表する名将の下で野球を学ぶことができました。でも自分は自分。僕なりのスタイルで取り組んでいます。選手の中に積極的に入っていって一緒に体を動かし、野球以外のことでもよく話をするようにしています。昔みたいな指導では今の選手には通用しないですね」
体力維持のため、毎日、5、6キロメートルのランニングを欠かさないという。「遠征先でも走りますよ。監督ってやることがないから(笑)。広岡監督がしてくれたようにグラブさばきを見せることもあります。60のおっさんが凄い…って選手に思われたら勝ちですからね」
――熟年諸兄姉よ、球場へ足を運ぼう
シニア世代の野球ファンに嬉しいニュースが。今年も本拠地メットライフドームでのバリュー試合(25試合)にて、60歳以上を対象に、内野 指定席のチケットが千円となる「ぷらっと割」が実施される。「特に熟年世代の方々、ぜひ球場に足を運んで、ドキドキ・ワクワクしてほしいと思います。球場に来れば楽しい思い出が一つ増える、そんな試合を目指しています。ベテラン松井稼頭央も復帰し、今年のライオンズは一味違いますよ。コーチ・スタッフを含めたチーム全員の力で、ペナントレースを戦っていきます」

野球の道具を非常に大切に扱うことでも知られる辻監督。今でもスパイクの手入れは欠かすことがないという。プロフェッショナルとして、真摯に野球に向き合う姿勢がひしひしと伝わり感動させられたインタビューたった。今年は埼玉西武ライオンズが所沢に本拠地を移して40年の記念すべき年。野球の神様もきっと微笑んでくれるに違いない。

2018年4月
(聞き手 編集長:山本英二)