今陽子さん

ピンキーの愛称で知られる今陽子さん。黒い山高帽とパンタロン姿で一世を風靡した「ピンキーとキラーズ」でのデビュー曲「恋の季節」は200万枚以上を売り上げる大ヒット。今も正統派シンガー、ミュージカル女優として、素晴らしい歌声を聴かせてくれている今陽子さんに、お話を伺いました。
みんなの元気の源になりたい
Profile 今 陽子 (こん ようこ)
1951年11月1日生まれ、愛知県東海市出身。1968年、「ピンキーとキラーズ」で歌った「恋の季節」が大ヒット。1972年にソロになり、現在もミュージカルや演劇の女優、歌手として活動する
――デビュー当時の事を教えてください。
私は、小さな時からお稽古事が大好きで、ピアノやバレエを習っていました。スカウトされたのは、中学2年生の時。いしだあゆみさんが名古屋に公演に来た時、たまたま父親が司会をした縁で、楽屋に入れてもらいました。その時、いしださんのマネージャーから「一度、作曲家のいずみたく先生の前で歌ってみない?」と誘われました。マネージャーさんが私を見て直感的にオーラを感じたらしいです。芸能の仕事への憧れは強く、迷うことなく14歳で上京して、いずみたく先生のご実家に住み込みました。私の両親は、一貫して子供の事を信じてくれるすばらしい親で、応援してくれました。そして15歳の時、今陽子という名前でソロでデビューしました。
――その後、ピンキーとキラーズで「恋の季節」が大ヒットしました
いずみたく先生は、168センチの私をかわいく見せるには、野郎どもを後ろにつけるのがいいだろうと、私をリードボーカルにして、バンドマンを4人ピックアップして、『ピンキーとキラーズ』を作ったんです。とにかく忙しくて、1日、28時間労働をしていた感じですよ。丸3年間休みが全くなくて、睡眠もきちんととれませんでした。大ヒットして人気者になったのは嬉しいけど、眠れない、遊べない。過労で体もボロボロ。主治医と看護師さんがついて、点滴しながらという状態でした。雑誌「幼稚園」の表紙から、若者向けの「平凡パンチ」や「週刊プレイボーイ」、婦人雑誌からも声がかかりました。今の時代では考えられないですよね。
――ミュージカルにも沢山出演なさっていますね。
 初めてのミュージカルが、浅利慶太先生の劇団四季といずみたク先生の事務所が組んだ、ミュージカル「さよならTYO!」でした。その後も多くのミュージカルに出演し、私のライフワークになっています。当時のいずみたく先生のプロダクションには、一流の先生方がそろっていて、私は本当に恵まれていたと思います。
――単身でニューヨークへ行かれたとことがありましたよね。
 29歳の時です。それは、私にとってとても大事な出来事でした。朝から晩まで、英語、発声、ダンス等のレッスンに明け暮れました。生徒になるためにもオーディションを受けないといけないのですよ。今でこそ、ニューヨークで学ぶ日本人は、増えましたが、私がその先駆けです。借金をして、裸一貫でニューヨークへ行ってその厳しさを味わってきました。そこで有名なプロデューサーの目に止まり、最終オーディションも通り主役の座をつかんだのです。そのミュージカルは、結局実現しませんでしたがそれは大きな自信になりましたね。
――最近、同窓会コンサートに出演なさっていますね。
 楽しいですよ。みんな同じ時代をともに生きてきた戦士ですものね、仲間意識が強いです。楽屋風景とかは、一般の方はなかなか見れないので、西城秀樹さんや、ブルーコメッツの三原綱木さんとかのツーショットをフェイスブックに写真をアップするんですよ。そうすると「いいね」があっと言う間に数百件になるんです。ただ、「ファンでした」とか、過去形のコメントを書いてらっしゃる方はちょっと残念な気がします。みんな、現在進行形、現役でがんばっているんですから。
――そういえば、60歳からのフェイスブックという本をだされてますね。
 54、5歳の時からからパソコンを始めてます。「好き」と言うより、パソコンやスマホが無かったら生きていけないですね。周りのスッフが20代ですから、連絡や音楽のダウンロードなど、仕事に欠かせません。
――元気で溌剌としていらっしゃる秘訣は?
 とにかく、よく歩くんですよ。1日に1万5、6千歩は歩きます。電車や車はあまり使わなくて、とにかく歩いて行けるところには歩いていくようにしているんですよ。熟年の皆さんも健康のために、1日に最低20分、できれは30分以上歩くといいですよ。
――今後やりたいことは何ですか?
 今やりたいことは全部やっています。これからも、自分に与えられた事を、ずっと全力でやれるよう心がけたいと思っています。私がフェイスブックに、「おはよう」と書くのを待っていらっしゃる方が沢山いるんです。みんな元気をもらいに来ると言うんです。なんか教祖的ですけど、私が頑張って、みんなの元気の源になりたいと思っています。
――今年アルバムを出されましたよね。
 今年4月に、アルバム「今昔歌~ピンキーの男唄」をリリースしました。一昨年に出したというアルバムと併せて、ぜひ聴いて欲しいと思います。これらのアルバムには、私の「今」がつまっています。
 常に新しい事に挑戦し続けているという今陽子さん。ご本人は「好きだから」と言っていましたが、その若さを失わない情熱は、眩しく、見習いたいものだと感じました。

2013年6月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)