宮路オサムさん

抜群の歌唱力と独特の節まわし、味のある風貌でお茶の間で人気を集めた宮路オサムさん。「殿キン」と聞いて、「♪おんな〜のみさお〜」というフレーズを懐かしむ熟年世代の方は多いはず。数々の大病をばねに、ピンチをチャンスに変えてきた宮路オサムさんの素顔をお届けするインタビューだ
頭のてっぺんからつま先まで、全て兄弟と思えば、病気は腹立たしくも悲しくもない
Profile 宮路オサム(みやじおさむ)
1946年8月生まれ 茨城県出身
1967年、殿様キングスのメンバーとして活動開始。1973年、メインボーカルとしてリリースされた「なみだの操」が爆発的ヒットとなる。オリコン年間シングルランキング第1位を記録し、NHK 紅白歌合戦には3回連続出場を果たす。1990 年、殿様キングス解散後は、ソロ歌手に転身。現在は、歌番組を中心にテレビやラジオ、歌謡ステージに出演。作詞・作曲、俳優業など、幅広く活躍中。
――常磐炭鉱がつぶれたおかげで「夢」を追うことが出来た
少年時代は、歌を聴く事と映画を観る事が唯一の娯楽だった。中学生の頃には、漠然と「世の中に夢を与える仕事に就きたい」と、芸能の
仕事に憧れを抱いていた。高校時代に演劇部の舞台に駆り出されたことがきっかけで、人前で演じる楽しさを知り、演じる側になりたいと強く願うようになったのだった。高校時代の音楽の先生は、彼の歌の才能に気づき、放課後になると三橋道也や春日八郎の曲を歌わせては、「いいねぇ、いけると思うよ」と彼の夢の後押しをしてくれた。
「昭和のまだまだ貧しい時代、『夢よりお金』と、当時栄えていた常磐炭鉱への就職を決めたのですが、就職を目前にその炭鉱がつぶれてしまって…。東京へ行って芸能界を目指す決心ができたのは、本当に常磐炭鉱がつぶれたおかげなんです。東京に向かう日、お婆ちゃんが『夢を追いかけなさい』と、両親には内緒でそっと2000円を手渡してくれました」
――殿様キングスのリーダーと運命の出会い
「東京で初めてのアルバイトが、映画館。当時、大きな映画館では、映画の封切りと歌謡ショーは2本立てが主流。ここでは東宝映画と島倉千代子ショーをやっていて、僕は運よく島倉千代子ショーのスタッフに回され、まずは芸能界の入り口の一歩を掴んだのです。仕事を転々としていた僕に芸能界入りのチャンスが訪れたのは、小田原のホテルで働いていた時の事。昼は下足番をしながら、夜はダンスホールで見様見真似でバンドマンとしてドラムを叩いていました。そこに偶然訪れた長田あつしさん(後の殿キンリーダー)の目に止まり、声をかけて貰えました。彼を訪ねて東京へ行き、ドリフターズのようなコミックバンドを目指し、即『殿様キングス』を結成したのです」
――雑踏の中でも聞こえてくる悲しいけど力強い曲「なみだの操」
「『なみだの操』のレコーディング時は、『この後の人生にどんな不幸が訪れても構わない、この4分半に全ての力を…!』、と心で叫び、魂を込めて歌い上げました。歌い終わった瞬間、スタッフさんやバンドマンからは、もう拍手の渦です。魂が乗り鬱ったかのようなこの曲は、レコード発売前に日本全国のレコード店から注文が殺到で、大ヒットを予感させました。
時代は高度成長期。女性が社会進出をして自立し、男にすがらなくても生きていく時代背景の中、『お別れするより死にたい』と、逆境した歌詞が世の中に受け入れられて…、歌謡界の七不思議とまで言われましたね。ある日、楽屋でご一緒した美空ひばりさんが、この曲を鼻歌で歌っているのを聴いた時、これは絶対に売れているんだ!と実感できました」
――たび重なる病を乗り越えて
「『なみだの操』絶頂期、ストレスからくる急性胃腸炎で突然バケツ一杯の血を吐きました。病気を悟られまいと、あえて奮い立たせてねじ上げて歌っていたのがあの苦しげな表情です。あの顔もこぶしも、病が功をなしたわけです。ソロ活動となり2年目、今度は急性神経性胃潰瘍腹膜炎になり、体内出血で3か月もの闘病生活を余儀なくされました。『人生の全ての運は殿キンで使い果たした』と、歌は諦めかけました。ところが、退院直前に既に新曲が用意されていて、何とその曲がヒットしたのです。後には膵臓がんが発見されたのですが、たまたま胆石が膵臓に動いてくれたおかげで初期のうちに手術できました。本当に強運でしたね。ところが今度はその入院中に、重度のアルコール中毒にかかっていたことが判ったのです。健康には無縁の酒浸りの生活を送っていたツケだったのでしょう…、点滴の袋がビールジョッキに見える程ひどかったのです。
担当の女医さんに『宮路さんは歌でみんなを元気付け、精神のクリニックをしているのだから、私と同じ立場。先生ですよ!』と言われ、その一事でアルコールと決別する決心が出来ました。今は一切アルコールを口にしていません」
――長生きは人生のご褒美
「長生きは、戦争や貧しさの時代を耐えてきた人達の権利です。特に今の70代はとても元気。今日の日本を創ってきたご褒美だと思います。もう歳だから…なんて考えるのは不要です。明るい色の洋服を着て良く笑って、鏡を見て髪型を整えて、『まだまだいけるね』と笑顔で外出すると、病気が近づかないそうです。病気から嫌われるタイプの人間になりましよう。今の宮路オサムが良い見本です」
 帽子とストールが良くお似合いのお洒落でダンディな宮路さん。最近ようやく趣味が仕事になったという言葉に、充実した70代を送っているのだとお見受けしました

2020年2月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)