スペシャルインタビュー 純烈

純烈パワーの源は「紅白出場」と「親孝行」

昭和の香り漂うムード歌謡を歌って踊り、その新鮮さと艶やかさで熟年女性の心を鷲掴みにしている『純烈』。スーパー銭湯の大広間が主戦場だった時代から、苦悩の道のりを経て念願の紅白出場を果し、今や全国区の人気者だ。独自のスタイルで異彩を放ち進化し続ける4人に、過去を振り返って頂きながら、来る11月のミューズコンサートの意気込みをお話し頂いた。

結成のきっかけは、夢に出てきた『前川清』さん

かつて『仮面ライダー』や『戦隊シリーズ』で俳優だった3人と、元理系大学生という異色のユニット『純烈』。グループの年齢差は15歳。結成の陰には、リーダー酒井さんの生きていくための覚悟があった。
酒井 「2007年の4月、右足の複雑骨折をして40日間の入院を余儀なくされました。ショックな事に担当医から『リハビリをしても、今迄のようには歩けないかもしれません』と言われたのです。手術前の1週間、何故か夢に毎晩『前川清さん』が出てきて『長崎は今日も雨だった』を歌っているのです。直立不動で歌う彼の姿と歩けなくなるかもしれない…、という現実が重なり、『歩けなくてもムード歌謡なら、この先やっていけるんじゃあないか…』と夢現のベッドの上で考えました。二人目の子供も生まれたばかりの僕は、生きてくための手段としてグループ結成を決めたのです」
後上 「僕は大学時代、ギャル男をやっていた時期がありまして…。事務所経営陣が大学の先輩で、断れない誘いの中で加入の話を受けました。芸能界未経験者故の無鉄砲さで、逆に前向きにこの世界に飛び込めたのです」
小田井 「加入を決断した一番のきっかけは、『北島三郎さん』など演歌の大御所の座長公演に一方的に憧れていた事です。こういうステージを目指したい!と思い、歌や踊りは未経験でしたが思い切ってスタートしました」
白川 「僕は18歳の時、朝日山部屋で綱ノ富士という四股名で大相撲の世界にいたのですが、怪我のため一年で引退をしています。後に俳優の道に入るのですが、リーダーの酒井さんとは戦隊ヒーローの先輩後輩繋がりでした。彼から『カラオケで聴いた時の声が忘れられない』と、突然誘いを受けたのです。『紅白に出て親孝行をしよう!』と言う言葉で決断しましたね」

苦難を乗り超えて果たした、念願の紅白出場

グループ結成以来、それぞれの葛藤や苦悩の中、ボイストレーニングや下積みを経て3年目の2010年、「涙の銀座線」でメジャーデビュー。地道な活動が実を結び、テレビに取り上げられるようになった。「スーパー銭湯アイドル」として活動の場を広げた10年目には、結成当時から掲げていた「紅白出場」の夢が叶い、思い描いていたレールの上を走り始めた。
酒井 「僕はこのグループ結成の発起人です。皆の人生を巻き込んでいますから、責任があります。結成当時からの目標は『紅白出場』と、グループの皆にもファンの方々にも言い続けていましたから、出場が決まった瞬間は嬉しいというよりホッとしたという感じでした。
でも、ここまで来るには長いトンネルがありました。ショッピングセンターや健康ランドに行って『ただ歌っている』というだけでは、次には呼んでもらえません。『一緒に同じ目線で仕事を盛り上げているな』という信頼を勝ち取り、『それが純烈だ』とわかってもらえる迄にはだいぶ時間がかかりましたね」
後上 「デビュー後しばらくは、紅白発表の時期に『今年も紅白が駄目だった純烈です』と言うと、笑いがおきました。でも、出場の前年度位から、ファンの方々が紅白出場の発表を神妙な面持ちで見守っていて、『本気で期待をしているのだ』と肌で感じるようになりました。翌年の出場でファンの皆様の涙を見た時には、やはりホッとしましたね。
大学生だった僕は、『純烈』に入ることが決まってから親に報告をしました。結成当時は自宅から通っていて、デビューしたてで週一しか仕事が無い時代、朝大きな荷物を持って仕事を装い、図書館に行って夕方に帰るなど、心淋しい時期がありました。なので、明治座の公演に親が観に来てくれて喜んでいた姿が忘れられません」
小田井 「紅白出場の前年、落選を知った日が、よりによって妻の誕生日だったのです。それも踏まえての紅白出場の知らせだったので、聞いた瞬間の喜びはひとしおでした。
ムード歌謡ジャンルで始まったグループでしたが、方向性がなかなか決まらなく、音楽性に関しても流された時期もありました。歌う場所が無く、本来の歌以外の事をやった後にようやく1曲歌えるという感じで、今みたいに『スーパー銭湯アイドル』という肩書が無く、迷走している時期はしんどかったですね。個人的には、オネエキャラをやってみたり、何処に向かっていいのかわからなかった頃もありました。でも、そういう時代があり、遠回りしたからこそ今があると思います」
白川 「僕たちが『純烈』を結成した時に、それまで俳優として応援してくれていたファンの方達が一気にいなくなってしまいました。なかなかメジャーデビューができない中、正直ほんとに紅白に出られるのだろうか、と辞めたいと思った頃もありました。ただ、そこを踏ん張ってこれたのは、母親の存在のおかげです。高齢の母親を喜ばせたい、という一心で乗り切れたことが幾度となくあります。
当時、ボーカルとしての重みも感じていましたし、紅白出場の知らせは、今までの思いが報われた瞬間でしたので泣き崩れてしまいました。紅白初出場のステージではファンの皆様がステージ上で応援をして下さり、背中から後押しをしてくれている感覚でした。僅か1分半の短い中で、とても充実した時間を過ごせた思いです」
酒井 「今『純烈』はとても良い時期なのですが、売れてない時より今の方が大変です。売れてない時はそれなりの苦労がありますが、売れてからも苦労ってずっと続くものだと思うんです。皆様に知ってもらった故の苦労、応えなければいけない苦労とか…、応援してもらっている分、重さも社会的責任も感じています。今は、『良い時ほど備える』という気持ちでやっています」

ミューズコンサートに向けて、エネルギーを与えるステージを

酒井 「9月にお台場のスーパー銭湯『大江戸温泉物語』が閉館となり、さよならライブをしたのですが、これまでと変わらずいつも通り『明るく楽しく』のステージでした。
ミューズのコンサートに向けても一緒です。貴重な時間を割いて来て頂くのですから、日頃の疲れを癒して明日からの活力になるようなステージにします。多くの皆様に足を運んで頂けたら嬉しく思います」
後上 「このような状況下ですので、ライブで一緒に過ごしている時間は、お客様と我々との『一期一会』という意味合いがこれまで以上に濃くなっていくと思います。今後はそれをしっかり心に留め、無事に開催が出来る事、お客さまにも無事に家まで帰って頂ける事、その積み重ねを大切にしていきたいと思います」
小田井 「いつもコンサートでは、客席とキャッチボールをしながら逆にお客様からパワーを貰っている気がします。直接手を握ってふれ合って『頑張って!』というような今迄のスタイルのパフォーマンスが出来ない分、70の中で100を感じ取って貰うコンサートをしていかなければ…、と強く感じています」
白川 「今年になってようやく少しずつコンサートが出来るようになっています。制限の中、これまでの様な声援が出来ないので、お客様の拍手や手拍子がとても心強いですし有り難く感じています。客席の中をラウンドできない分、一人でも多くの方を視ながら自分たちの歌声を届けていけたら、と思います」
全員 「僕達のファンの方々は、当に熟年世代です。中高年の皆様のパワーと応援が僕たちを『紅白』まで導いて下さったと思っています。『純烈』をまだまだ知らない皆様にも、今後応援したいと思って頂けるようなパフォーマンスをお届けしていきます。熟年世代の皆様の背中を見て学んできた事が沢山あります。まだまだお元気で、心の底から『ばんざい』って笑顔になれるよう、体調をお気を付け下さい。まだ見ぬ熟年世代の皆様に、お会いできる日を楽しみにしています」
端正な顔立ちで高身長揃い、個性豊かな4人が揃った姿は、パフォーマンスを観ずしても圧巻だった。彼らの誠実な言葉から、普段ステージ上では見ることが出来ない真摯な生き方が伝わってきて、心から応援したいと思った。ますます勢いづく今年、『君がそばにいるから』で4年連続の紅白出場を目指している。今後の4人の活躍に目が離せない。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile 酒井 一圭(さかい かずよし) 1975年6月20生まれAB型 大阪府出身
1985年子役デビュー以来、多くの映画やTVドラマに出演。リーダー兼プロデューサーとして裏方にも回る『純烈』のまとめ役。『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオブラック役。

Profile 後上 翔太(ごがみ しょうた) 1986年10月23日生まれO型 東京都出身
元理系大学生の最年少で、メンバーの中では弟分的存在。9月に公開されたグループ初主演映画『スーパー戦闘純烈ジャー』でヒーローデビュー。

Profile 白川 裕二郎(しらかわ ゆうじろう) 1976年12月11日生まれA型 神奈川県出身
2002年、『忍風戦隊ハリケンジャー』のカブトライジャー役で俳優デビュー。元大相撲力士という異色の経歴をもつ、歌唱力抜群のメインボーカル。

Profile 小田井 涼平(おだい りょうへい) 1975年6月20生まれAB型 大阪府出身
1971年2月23日生まれA型 兵庫県出身
モデルとして芸能界入りしたのち、2002年『仮面ライダー龍騎』の仮面ライダーゾルダ役で俳優デビュー。2017年、映画コメンテーターのLiLiCoさんと熟年婚。