スペシャルインタビュー 安倍理津子さん

歌謡曲が全盛期だった1970年、「愛のきずな」でデビュー。凛とした顔立ちとバレエで鍛えた抜群のプロポーションで、一気にトップスターに躍り出た。後のデュエットブームの中、橋幸夫さんと歌った「今夜は離さない」が大ヒットし、以降もデュエット作品が続いたことで「デュエットの女王」の異名も得ている。浮き沈みが多い芸能界で50年以上、今なおチャレンジし続ける彼女にお話を伺った。

年齢は「番号!」
齢は気にせず、明るく楽しく!

バレエの先生になる夢が一転
歌手の道ヘ

北海道札幌市で、祖母と母親の3人家族の中で生まれ育った。小学5年生からクラシックバレエを習い始め、バレエの先生になる事を夢見て日夜レッスンに励んでいた。高校を卒業した頃、祖母のすすめで習い事の一つとして歌のレッスンに通い始めた事で彼女の運命が大きく変わった。
「祖母の知り合いの息子さんが、ラテン歌手をしていてミュージックパブを経営していました。店にはセミプロの方もいて、私は歌のレッスンの延長でそこで歌っていたのです。当時、カラオケがない時代なので、大きな紙に歌詞が書いてあり、ギロやカスタネットを使い、お客様みんなで合唱するという様なとても楽しいお店でした。そこに来て下さっていたのが、平尾昌晃先生です。歌手になるつもりなど全くなかった私に、突然店のオーナーから『平尾先生が歌手にならないか…とおっしゃっている』と告げられたのです。当時、バレエか歌かの選択を迫られていた時期でしたし、丁度バレエに行き詰っていた事もあり、歌の道に進む決心をしたのです」

『愛のきずな』で鮮烈デビュー

「祖母は、手元で私が踊ったり歌ったりしている姿を観るのが生きがいの様な人なので、上京に大反対で『あんな怖い所に孫は行かせられない』と仏頂面でした。ところが札幌まで来て下さったプロダクションの方が北海道出身と知ると、『北海道出身者に悪い人はいない』と、首を縦にふってくれたのです。
3月に上京し、直後の6月にはレコーディング。8月には『愛のきずな』で息つく間もなくデビューです。『水着以外、取材お断り』という宣伝戦略も公を奏し、何が何だかわからないうち、上京数カ月であっという間に売れてしまいました。盆と正月が一気に来たようなデビュー年でしたね。洋服から靴、食べる物までが全て真新しく、送迎車が付くなど環境も一転。まだ若かった私は、何の疑問を持たないまま苦労せずに売れたため、ヒットは続くだろうと漠然とした思いがありました」

橋幸夫さんとのデュエット曲
『今夜は離さない』で再ブレイク

デビュー曲が大ヒットしたもののそれを超えるヒット曲に恵まれず、低迷期が続く。『なんで売れないんだろう…』とばかり考え、周りが見えなくなり自分を追い込んだ。
「もう少し柔軟な私であったら、もっと楽に仕事に向き合えたのですが、当時はまだ若く心に余裕がなかったですね。13年間ヒット曲が無く、どん底も経験しました。
転機が訪れたのは、芸能界の大御所、橋幸夫さんの新作デュエット曲『今夜は離さない』の相手役のオーディションを受けた事からです。相手役は先入観を無くす為、名前を伏せて録音した音源を橋さんご本人が聴いて決める事に。橋さんが私の声を選んで下さったのは本当に光栄でしたね。元々この曲はアルバムの中の1曲だったのですが、シングルカットされカラオケでのデュエットブームの波に乗り、徐々に注目されていったのです。曲の力、勿論橋さんの力で大ヒットに繋がったのですが、実際に橋さんとの共演でデュエットした回数はほんのわずかなんですよ」

介護は頑張りすぎず人を頼るのも大切

「母親が突然歩けなくなってしまい、ここ10年以上介護生活をしています。最初の1年は『何でこんなことになってしまうの…』と二人で切羽詰まった思いの中にいました。介護をしながら歌手活動を続けていたので、いつもギリギリの時間の中、寝たきりの母にお布団に横にならせたままご飯を食べさせたりして…。今思えば、よく誤嚥にならなかったと思います。今では肩の力を抜いて、自分だけで抱え込まないようにしています。手を差し伸べてくれる人は必ずいるはずで、頼る事も大切だと思うようになりました。
今年のお正月は2日からお休みでした。仕事の時は施設にお願いせざるを得ませんので、お正月で家にいる時くらいはと、二人でお酒を頂きました。ところが三が日を過ぎも一緒に楽しくお酒を飲んでしまうような、そんなお茶めな母です。祖母は私がデビューして間もなく逝ってしまい、私のいい時代しか見ていないので、お婆ちゃん孝行はできたと思っています。でも、母には苦労をかけた分、大ヒット曲を出して安心させたいと思っています。それが原動力にも繋がっていますね」

ささやかな目的でも笑顔になれる

「デビュー50周年記念のメモリアルイヤーは、コロナ禍で思うような活動が出来ませんでした。記念シングル『願い』も発表されたのですが、披露する会場が相次いでキャンセル。私は歌手ですのでやっぱり歌っていないと駄目なので、今はディナーショーが中心の活動をしています。安倍理津子の歌を聴きたいと会場に足を運んで下さる皆様に向けて精一杯歌う、それが私の活力となっています。同年代の皆様に言える事、『ささやかでも目標を持って、毎日を明るく楽しく笑顔で!』私は実践しています」

華やかな芸能活動を続けている裏で、我々世代が直面している介護の現実と向き合っていることを知りました。その苦労をもエネルギーに変える芯の強さと気さくなお人柄にふれ、すっかりファンになりました。お母様に大ヒット曲のプレゼントが出来る日が来ることを、心より願っています。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile 安倍 理津子(あべ りつこ) 1948年10月7日生まれ 札幌市出身 A型
地元の音楽喫茶で故・平尾昌晃氏にスカウトされ上京。1970年のデビューシングル『愛のきずな』が100万枚の大ヒット。第12回日本レコード大賞新人賞を受賞し、その年の新人賞を総なめ。1983年、橋幸夫とのデュエット曲『今夜は離さない』は、日本有線大賞特別賞を受賞。現在は、リサイタルやディナーショーで、「魅せる・聴かせる」と高評のステージを展開中。