「終活」から「修活」へ

人生を美しく修めよう

「終活」の由来とブーム

「終活」という言葉は「就活」をもじってできた言葉です。「終」は「終わり」ないし「終末」のことで、人生の最期を意味し、「活」は「活動」の略です。2009年に「週刊朝日」で連載された「現代終活事情 変わりゆく葬儀のかたち」で初めて用いられた言葉で、本誌「熟年ばんざい」では2010年10月号において「終活」という言葉を初めて用い、特集を企画しました。
「終活ブーム」と言われ久しいですが、その言葉が一般的に認知されるようになったのは、多数の犠牲者を出した東日本大震災の以降で、「人生の終焉」というものを考える機会が増えたことが原因とされます。そして、最近のコロナ禍。特に高齢者にとって感染は「死」を身近に意識するものとなり、ブームが続く要因となっています。

「終活」が一般化したため、多くの高齢者の方々が、生前から葬儀やお墓の準備をされています。しかし、「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことも事実で、特に「終」の字が否定的で暗い印象を与えてしまいます。
そんなこともあり、2015年、作家で冠婚葬祭事業を行う経営者でもある一条真也氏から「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉が提案されました。一条氏は「修活」について以下のように説明しています。
「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」であるという見方ができます。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活だからです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があるわけです。
かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを知っていました。これは一種の覚悟です。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてなりません。
そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。(ライフコラム 一条真也の人生の修め方)

老いるほど豊かになる

現在日本は世界一高齢化が進んでいる国で、その原因は、少子化と寿命が伸びたことによります。長寿はめでたいことで、日本には、還暦、古稀、喜寿…といった長寿祝いがあります。しかし残念な事に現代の日本には、高齢化が進行することは否定的で、高齢者が多いことを恥じる風潮もあります。それゆえ、高齢者にとって歳を重ねるほど、負い目を感じる人が多いのが現状なのです。しかし、一条氏は以下のように述べています。
老いること死ぬことが、不幸なこと、けがれたことだったら、人生そのものが不幸になってしまう…。このように考えるのではなく、老いるということは、あらゆる人生経験を積んで知識知恵が増え、生活も心も豊かになる…。人は老いるほど豊かになるのです。
なるほど「老いるほど豊かになる」ということを自分に言い聞かせると、気持ちが前向きになり幸せにつながると感じます。「老いは衰退ではない、今から人生で最も贅沢で充実した時間を過ごせるのだ」という考えを持つと、自身の老いや死を抗うことなく自然に受容できると思えます。その気持ちが「終活」を「修活」に変えることができ、人生を美しく修めることに繋がるのではないでしょうか。