スペシャルインタビュー 晃さん

沖縄出身の歌って踊る5人兄弟、「フィンガー5」のメインボーカル晃さん。トレードマークのトンボメガネとハイトーンボイスで歌う彼の人気はすさまじく、小学6年生で一気に大ブレイクし時代を駆け抜けた。現在、ソロ活動で本格的に音楽に取り組んでいる彼に、当時を振り返りお話しして頂いた。

周りに迷惑をかけなければ、自由に挑戦していい年齢です。
若さの秘訣は、没頭できる趣味を持つ事!

兄弟でデビューを目指し沖縄から上京

地元沖縄で兄弟3人がバンドで活躍をしていたのは、本土復帰前の1960年代後半。新人発掘オーディション番組で優勝した兄たちは、ディレクターの勧めもあり東京で芸能界デビューに挑戦する事になる。
一家全員で上京を決心するも、当時はまだ沖縄から出るにはパスポートが必要な時代、本土での就労ビザが下りるまでに奄美大島で長期間の足止めを食らってしまった。この間に、4男の晃さんと妹の妙子さんを加えた兄弟5人で、東京での音楽活動をスタートさせる事に決まったのだった。当時小学生の晃さんは、両親の影響もあり洋楽が身近な環境で育ったものの、音楽にも芸能界デビューにも全く興味がなかったと語る。
「上京してすぐは、横田などの米軍基地を転々とし、沖縄で親しんできた洋楽を歌っていました。基地でのステージをこなす中、良い歌を歌えばお金になる…、と、子供心にわかっていたと思います。芸能界には全くコネが無い僕たちは、同じ沖縄出身の先駆者で、既に歌手として成功していた『仲宗根美樹』さんを頼り、キングレコードから念願のデビューにこぎつけたのです。ところが、当時の芸能界は、子供=『黒猫のタンゴ』のような童謡を歌う時代。洋楽に影響を受けた僕たちの音楽は受け入れられえず、殆ど需要が無かったですね」

「フィンガー5」として一世風靡

彼らの音楽ルーツ=洋楽とは裏腹に、目の前の仕事は意に反する内容ばかり。「童謡を歌わされるくらいなら…」と、一家で沖縄に戻る荷造りを始めていた。矢先に現れたのが、プロデューサーとして活躍する『ミッキー・カーチス』からの伝言を預かってきたディレクターだ。5人の音楽性の素晴らしさを見抜き「彼らにもう一度演奏をさせたい」とのミッキーの熱い思いを伝え、父親を口説き落として沖縄に帰るのを引き止めた。
「僕らはレコード会社を移籍し、『フィンガー5』と改名し再デビューをしました。阿久悠先生と都倉俊一先生に僕らの演奏を聴いて貰い、お二人に手掛けて頂いたのが『個人授業』です。この曲でTVに出演した直後、局の電話がパンクする程の反響だったとか。一気に全国小中学生の注目を浴び、物凄い勢いでした。学園での恋愛をテーマとした楽曲が続き、人気は絶頂期。冠番組や映画出演など、寝る間を惜しんでの殺人的なスケジュールです。夜中過ぎからのレコーディングはざらで、当時の食事は3分で食べるカップ麺の記憶しかないですよ(笑)」
トレードマークのサングラスは、ラジオ番組で布施明さんがかけるのを真似たのがきっかけだ。本番直前にサングラス姿でステージへ立ったところ、長男は猛反対だったがNHKのスタッフが大絶賛した。その後、彼のトレードマークとなり、芸能人の欠かせないアイテムの走りとなった。

渡米〜解散
紆余曲折を経て活動再開

兄弟5人は役割分担が決まっていて、各自の個性がお互いの不足部分を補い合っていた。ステージで誰かがミスしても自然にカバーをし合える仲だった。兄弟一緒だったからこそ、猛烈に忙しく苦しい時代を乗り越えられたと語る。
「過密なスケジュールで働く僕たちは、国会で問題視された事もあります。以来、児童福祉法が厳しくなったとか…。僕は変声期を迎え、従来のハイトーンでは歌えない時期になり、音楽的チェンジを考えました。元々沖縄で培ってきた洋楽を本格的に学ぶ為、本場アメリカに渡るのですが、当時の芸能界は入れ替えが激しく、半年間日本を離れただけなのに人気は戻りませんでしたね。
家族全員多数決で芸能界引退を決め、解散となりました。後には、電器店や不動産の営業などサラリーマンの経験をしています。でも、僕は幼い頃から大人の世界で生きてきて、同年代に話し相手はいなく、人との接し方も判りませんでした。何の教育もされないまま飛び込んだサラリーマン時代の苦労は相当なもの。でも、躓いたり壁に当った時、必ず助けてくれる人が現れる…。そういう意味では運が良かったと思っています。サラリーマン時代の友人の一言から、『自分には音楽がある』と気付かせて貰えました。その助言のおかげで、音楽の道一本に絞り活動を始める決心がついたのです」

音楽を進化させ、楽しく挑戦していきたい

現在は、ソロでライブやコンサート活動を全国各地でこなし、多忙な日々を送る晃さん。
「今は目の前にある音楽活動で精一杯ですが、今後は音楽を面白い方向に進化させたりジャンルをいじってみたり…、楽しみながら挑戦していきたですね。ステージでは、洋楽をベースにオリジナル曲や昭和歌謡など、お客様からのリクエストを取り込んで何でも歌いギター演奏します。お客様の反応が肌で感じられるライブは、エネルギーを分かち合える最高の場所です。僕が幼い
頃に最初に出会ったのが『歌』でしたが、最後にやりたいと思えるのはやっぱりこれなんだ…と気付き、今は音楽に取り組んでいます。
皆さんも、他人に迷惑さえかけなければ、好きな事に没頭して良いと思います。誰が何と言おうと、やりたい事に今挑戦するべきですね」

(聞き手 高橋牧子  撮影 岡田充)

 

Profile 晃(あきら)1961年5月9日生まれ 沖縄県出身
沖縄で音楽活躍していた兄弟らと共に1969年に上京しプロを目指す。1970年、ベイビー・ブラザーズとしてメジャーデビュー。後、フィンガー5に改名し再デビュー、1973年、メインボーカルを担当した「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」など、ミリオンセラーを連発し一世を風靡する。渡米、復帰、解散、サラリーマン経験を経て、現在はソロとして音楽活動に本格復帰。ライブや全国ツアー、ラジオ出演など精力的に活動中。。