辺見マリさん

「やめてぇ〜」と掌をかざし吐息交じりに歌う辺見マリさんをドキドキしながら見ていたのは45年も前の話。あまりにも鮮明な記憶なので、ついこの間のように思う方も多いのでは…。歳を重ねてなお華やかさが増し、変わらずのセクシーさが魅力の辺見マリさん。そんな彼女の素顔に迫るインタビューだ。
歌わせて頂ける場所がある限り歌い続けたい。
Profile 辺見 マリ (へんみ まり)
1950年10月生まれ 京都府出身
4歳よりクラシックバレエを始め一流バレリーナになる事を目指すも、15歳で渡辺プロにスカウトされ19歳で歌手デビュー。20歳の時に発売したセカンドシングル「経験」の吐息交じりの歌い方が話題となり大ヒット。セクシー歌謡の歌手として一躍スターダムに乗り、「私生活」で第21回NHK紅白歌合戦に初出場。人気絶頂時の1972年に人気歌手の西郷輝彦と結婚し引退。長女はタレントの辺見えみり。芸能界復帰後の現在も、舞台・コンサート活動を中心に全国を奔走中。
――バレリーナを夢見た少女がセクシー歌手に大変身
布施明さんの大ファンだった辺見マリさん。10代の頃、ご自身がクラシックバレエで何度も舞台で踊っていた京都会館での布施明さんのコンサートで、渡辺プロの方の目に留まったのが芸能界入りのきっかけとなった。
デビュー曲の「ダニエル・モナムール」の発売は19歳の時。歌詞の「ジュテーム♪」の響きがあまりにも悩まし過ぎると、録音をし直したエピソードがあると言う。当時芸能界には「ぶりっ子」という言葉は無く、彼女は早く素敵な大人の女性になりたいと願っていた。映画雑誌『スクリーン』の中のジェーン・ホンダやアン・マーグレットへの憧れが、セクシー歌手『辺見マリ』誕生のきっかけともなり、第2段の勝負曲「経験」の「やめて〜♪」が生まれたわけだ。
――駆け抜けた2年間の歌手生活
トップスターに一気に駆け上がり、まさにこれからという人気絶頂時に「結婚=引退」という道を選んだ彼女。人気歌手である西郷輝彦さんとは紅白初出場の頃、既にお付き合いをしており、その後に結婚。芸能界の恋愛がご法度の時代の中、秘かに愛を育んでいたのだった。
「『経験』がヒットしてからの2年間は、あまりにも忙しすぎて何が印象に残っているかすぐには出てきませんね。『経験が大阪の有線から火が付いてるぞ』とマネージャーに言われ、瞬く間もなく生活が一変です。次々とこなさなければいけないステージでの歌のレッスンで、睡眠時間も無く、よく化粧をしたまま寝てしまったものです。母に怒られハッパをかけられた事が忘れられませんね。当時の現場では、ちあきなおみさんや藤圭ちゃん(故藤圭子さん)とは、家族よりも一緒にいる時間が長かったです。特に世間話をしたというのではないですが、六本木のアマンドで藤圭ちゃんの恋の悩みを聞いたシーンが思い出されます」
――両親の介護生活を乗り越えて
離婚後に芸能界復帰、現在に至るまでの波乱万丈な生活をテレビ朝日「しくじり先生」で告白。あまりにも衝撃的な「洗脳事件」の失敗談に大反響を呼んだのは記憶に新しい。
「どんな状況でも、やっぱり支えになったのは子供達と両親です。私が必ず立ち直ると信じて、よく待っていてくれたと思います。本当に感謝しています。後の歌手活動の本格的開始のさなか、今度は両親の介護のために活動を休業せざるを得ませんでした。当時の壮絶な様子は一口では言えませんが、介護と言っても人それぞれです。私の父はスキルス性の胃癌で、手術後、脳に転移していることが判り24時間気が抜けない介護が続きました。凄まじかったです。父を看取った後、今度は母はガクッときてしまい、転倒して大腿骨を骨折してしまいました。懸命なリハビリで一旦は持ち直したのですが、今度は動脈解離で倒れてしまったのです。心臓がもう限界だったんですね。私は一人っ子なので、今まで両親には一杯愛情を貰ってきました。その分、恩返ししたいという思いで介護に懸命でしたね。介護を続けるには、自分だけで問題を抱え込まない事です。どんな親でも、どこかに預けられたりするのを絶対に嫌がります。でも意外と預けてみたら何とかなるものですよ。『自分自身が壊れないように周りの色んな力を借りるように』と介護をしている方へ伝えたいですね」
――歌に生かされて生きています
「今、昭和の同じ世代の先輩・後輩達と一緒に出演させて頂いているのが『同窓会コンサート』です。皆で一つのものを作り上げていく中で、今まで独りよがりだった自分の世界から別な世界が見えてきます。芸能やお客様に対しての事など、新たな発見があったり刺激を受けています。自分を見つめ直す機会がある有り難い仕事の一つです。私達の仕事って、やっぱり歌って何ぼなんですね。歌う場所があってこそ、声を出させて頂く場所があってこそ価値があるんです。それぞれの強い個性を生かしながら一つの事に向き合っているって本当に素晴らしいと思います。今は、こうやって歌わせて頂いている事に幸せを感じています」
――同年代の皆様へ送る言葉
「私は無趣味なので、こうやって歌を与えられているのだと思います。だから体が動く限り歌っていきますよ。とにかく皆さんも自分の楽しめる事を見つける、それが一番です。歌でも陶芸でも手芸でも、自分が没頭できる世界が見つけられれば、きっとキラッと輝く人生になるはずです」

先日のウェスタ川越でのコンサートでは、彼女が登場するだけでその場がパーッと華やかな雰囲気に包まれました。「日本一色っぽいバァバです」と言って会場を笑わせてくれた辺見マリさん。壮絶な過去を乗り越えてこそ今の幸せな姿があるのだとうかがい知る思いのインタビューでした。

2016年6月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)