菅原洋一さん

甘く優しい歌声で多くの人を魅了し続けている菅原洋一さん。昭和42年「知りたくないの」が大ヒット。その後紅白歌合戦にも、22回連続出場を果たした。81歳になった今でも、多くのコンサートを開き、ニューアルバムを出すなど、精力的に活動を続けている。
言葉を大切にして、
魂を込めて歌い続けたい。
Profile 菅原 洋一 (すがわら よういち)
1933年生まれ 兵庫県出身・国立音楽大学声楽専攻科卒業。
1967年「知りたくないの」が大ヒット。NHKの紅白歌合戦に初出場、以降22回連続出場を果たす。 68年「誰もいない」日本レコード大賞・歌唱賞受賞。 70年「今日でお別れ」で日本レコード大賞を受賞。75年「乳母車」東京音楽祭・歌唱賞受賞。 78年「歌手生活20周年記念アルバム」で日本レコード大賞顕彰。82年 アルバム「ホテル」で日本レコード大賞企画賞受賞。04年、ピアノ伴奏のみで歌う「ニュークラシカルコンサート」を全国クラシックホールを中心にスタートさせる。現在はライフワークとなっている。
――歌の世界、その中でも「タンゴ」との出会いのきっかけを教えて下さい。
 私は内気でおとなしい子供だったのですが、歌が得意で歌う事が大好きでした。中1の時、叔母から「あなたのお母さんは、あなたを産んで直ぐ亡くなったのよ」と言われました。今まで本当の母だと思っていた人は後妻だったのです。中1という多感な時期、それを聞いて愕然とし頭の中が真っ白になっていました。そんな時、ラジオから流れてきたのがアルゼンチンタンゴの名曲「たそがれ」。その切ないメロディーが、その時の心境に重なり心を強く揺さぶりました。これが、自分の人生を大きく変えた「タンゴ」との出会いだったのです。
――国立音大に進学されました。
 子供の頃は体が弱く病気がちで、中学から高校にかけては学校を長期間休むこともしばしばでした。父は私を一般の大学に行かせたかったようですが、高校3年の時、音大への進学を決意しました。父に猛反対されましたが、叔父たちが『この子は体が弱いから、やりたい事をやらせてあげたほうが良い』と説得してくれました。
 音大生時代は、大学生活を自由に満喫していました。卒業を控えた4年の時、東京を離れたくない一心で、必死に勉強しました。お陰で首席で専攻科に入ることができたのです。専攻科を卒業した32年当時は、街にはタンゴ喫茶やジャズ喫茶が栄えていました。そこで歌っていた時にスカウトされ、日本で人気の一流タンゴオーケストラ「オルケスタ・ティピカ東京」の専属歌手になることができたのです。でもそのうち、タンゴだけでは物足りない、様々なジャンルの曲が歌いたいという気持ちが強くなっていき4年で退団。再びライブハウス等で歌う日々が始まりました。
――その後「知りたくないの」が大ヒットしましたね。
 今になって思うと「運命」というものを強く感じます。その後レコード会社に入って、念願のレコードデビュー。30歳の時です。何枚かレコードを出したのですがほとんど売れませんでした。これがラストチャンスとの思いで出した7枚目のレコード、A面がシャンソンの名曲「恋心」。B面は僕が選んだカントリーの名曲「たそがれのワルツ」。新人のなかにし礼さんに新しい詞を書いてもらいました。それが「知りたくないの」です。その曲は宣伝もなにもしていないのに、じわじわ売れて行き、やがて全国的なヒットになりました。
――紅白歌合戦に、22回連続出場しました。
 故郷の父親にしてみれば、僕は東京で何をしているかわからない。紅白歌合戦に初めて出場が決まった時、これで親孝行できたなとホッとしました。司会の宮田輝さんが私を紹介する時に「歌は語れ、という歌い手が出ました」と言ってくれたのです。それはとても嬉しいコメントでした。その後、ヒット曲がないにもかかわらず22回連続で出場ができたのは、私がタンゴやジャズなど様々なジャンルの曲を歌えたからだと思っています。
――ピアノ伴奏のみで歌う「ニュークラシカルコンサート」をライフワークにされています。
 私は、「言霊」という言葉があるように、言葉を大切にして魂をこめて歌いたいと思っています。最小限のピアノだけで歌った方が聴く人に伝わるような気がするのです。コンサートでは唱歌をよく歌います。唱歌は日本の文化財だと思います。自然を詠ったものが多く、日本語の美しさがよく現れていて、きれいなメロディーがついている、その優しい響きを伝えたい。歌い手にとって最高の幸せだと思うのです。
――今後、取り組んでみたいことは何ですか?
 タンゴ、ジャズ、クラシック、ポピュラー、色んなジャンルの曲を今後も繰り返し歌っていきたいと思います。でも、歌の解釈は同じではないですね。それは時代とともに変わってきます。昔に比べると大事に歌うようになりました。若い時に比べて、今はどうしても声が出にくいので、どうやって声を出せばよいかという事を常に考えています。腹式呼吸で、体を使って衰えた声帯を響かせなければいけない。体すべてをつかって表現するようにしています。そのためにはトレーニングは欠かせません。
――健康を保つために気をつけている事は?
 今言った呼吸法、それが健康にも繋がっていると思うんです。「生きる」と言う事は、息をするという事ですから、呼吸法は大切です。それと、なるべく歩くように心がけていますね。決して無理をせず、走ったりしない。時には、タンゴのステップを踏むように、後ろ向きに歩いたり、マイペースで歩いています。
――読者の方へのメッセージをお願いします。
 要は考え方だと思うのです。絶えず前向きに物事をとらえる事。そして、怒らないようにする事。物事を、良い方良い方に考え、怒りたくなったら、相手の姿を自分の鏡だと思って、笑顔を思い出してください。
 人を穏やかに笑顔にさせる、優しいオーラを持った菅原洋一さん。いつまでも甘い歌声を私達に聴かせてください。

2014年2月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)