黒沢年雄さん

映画やドラマでみせるワイルドな風貌とは裏腹に、最近では旅番組のリポーターやバラエティ番組での茶目っ気たっぷりな天真爛漫ぶりがウケている黒沢年雄さん。タートルネックのセーターにニット帽姿が定着し、映画スターから歌手、タレントとして色褪せない魅力を放っている。
そんな黒沢年雄さんが自然体で語ってくれた
世の中の人を楽しませたい!
笑わせたい! 笑われたい!
これが今の立ち位置、そして使命
Profile 黒沢年雄(くろさわとしお)
1944年2月4日生まれ 横浜市出身。1964年、東宝映画第4期ニューフェイスとして東宝に入社。岡本喜八監督を始め名監督の作品に数多く出演し、野性的で無口なイメージでハードボイルド作品に欠かせない男優としての地位を確立。歌手としても「やすらぎ」「時には娼婦のように」で100万枚突破の大ヒットをとばす。2013年から自社主催「夢コンサート」「夢歌謡祭」などの全国ツアーに参加。今年1月に新曲をリリースし、現在も歌手・俳優・バラエティタレントとして活躍中。
――東宝ニューフェイス合格秘話
 横浜の港町で4人兄弟の長男として生まれ育った。食べる物も着る物もない戦後の貧しい時代、プロ野球選手になるのを夢みて野球の練
習に没頭していた。
 人生最初で最大のピンチは、早くも16歳の時に訪れた。母親が40歳という若さで、がんのため他界。「弟たちを頼んだよ…」というのが長男
年雄さんに託された最後の言葉だった。16歳にして一家の大黒柱となり、プロ野球選手になる夢を断念し高校を中退、社会に出て行った。若くして生き抜く知恵を学び、辿り着いた職業は映画俳優だった。「演技の勉強に役立てようと、車・ミシン・保険のセールスから夜はバーテンダーやドライバーまで、2年間で30種類以上の職業を経験しました。19歳で東宝のオーデションを受けました。面接では仕事で学んだ経験を存分に生かし、あらゆる目立つ事をしました。わざと大幅に遅刻をしたり、その辺に寝転がったり…。それが功を成して自己アピールをするチャンスを掴んだのです。演技の勉強をするお金は無くても、仕事の実体験が生かされ、何万人の応募者の中でたった一人の合格でした」
――グローバル感覚を身につけたひとり旅
 「映画俳優としてスタートしたものの、自分は演技の基本どころか高校中退なので教養も品格もありません。そこで、まだプロペラ機の時代に、アメリカやヨーロッパなど世界中を一人旅し、グローバルな感覚を身に付けました。もう度胸が座っていますから、どんな人に出会ってどんな事があろうと平気。そんな自分を作り上げました。
 僕は当時の大スターに比べ、演技や容姿、スタイルなど全てにおいて劣等感を抱いてました。だからこそ『黒沢年雄』というオリジナリティを作っていこうと思ったのです。それが現在の僕です。昔の映画界で教えられた事は、『無駄口効くな!三船さんみたいにドンとしていろ』です。それで無口でニヒルなイメージが作られたのです。なかにし礼先生の作詞・作曲で大ヒットした『時には娼婦のように』ですが、先生は僕の背景を見てあの曲がスーッとできたそうです。芸能界では異質な存在で、当時は窮屈な思いもしましたが、あの頃があるからこそ現在の自分があるわけです」
――がんの手術をするたびにご褒美が来る
彼が大腸がんを告知されたのは、48歳の時。以降、膀胱がん、食道がん、胃がんを経験しながらも、芸能界の第一線に立ち続けている。
 「病気になった時こそ僕は一人で立ち向かいます。がんで入院中も、身の回りの事は全て一人で出来ました。楽しみながら病気を乗り越えていくと、その度にきちんとご褒美が来るのです。手術をするたびに元気になり、生きる自信が持てる感覚です。70歳の時、食道がんと胃がんの手術を年4回繰り返しました。それから『死』というのを恐れなくなりました。いつ死んでもいいように、比叡山に位牌があり戒名もありますよ。有り難い事に比叡山の修行僧が、生きているこの世で素晴らしい人生が過ごせるようにと毎日拝んでくれています。
 僕は本当に理想以上の人生を送ることが出来たと思っているので、何の悔いもありません。今は仕事の日以外は、テニスやゴルフをし、週3ジム通いしています。健康の秘訣は簡単です。『くだらない事は考えない! 嫌な人とは付き合わない!嫌なものは見ない!』と単純です」
――人生最後の大挑戦 「ゆかいなじいちゃん」
 「僕の最後の夢は、世の中のために尽す事。そして芸能人としての最後の使命は、人を楽しませる事だと思っています。今までの自分を払拭し、かっこつけず明るく楽しく!『いい歳をして何バカな事やってんの』と言われてもいいんです。いや、むしろそう言われたい。自分がやるからこそ笑ってもらえる、アッと驚くようなパフォーマンスを繰り広げていきたいですね。70歳で自分を振り返った時、望み以上の人生を歩め、感謝するようになりました。今は、皆に喜んでもらえる事が最高の幸せです。今回25年ぶりに、小さな子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、踊り出したくなるような愉快な新曲をリリースしました。新曲がヒットするのは奇跡かもしれない。でも、僕の今までの人生、すべて奇跡ですから。
 人それぞれ生き方も考え方も違います。僕は僕、あなたはあなた。だから皆に余計なお世話になる事は言いません。ただ、自分の生き方が何か参考になる事があればいいと思います」
 今年1月、新曲のPRを兼ね白髪のかつらとサングラス姿、スキップ交じりで渋谷の道玄坂を練り歩いた。待ちゆく人が笑いながら振り返り、夢に一歩近づいたとご満悦。皆を笑顔にしてくれるこの曲が、お茶の間で流れる日が楽しみだ。

2019年2月
(聞き手:高橋牧子 撮影・編集長:山本英二)