スペシャルインタビュー 野村将希さん

人気時代劇『水戸黄門』で、水戸光圀一行を支える怪力の忍者『柘植の飛猿』が好評で、13年以上も忍び役でこの番組を支えてきた野村将希さん。常に前向きで、幸運を呼び寄せてきたサクセスストーリーを爽やかに語ってくれた。

心と体は一体。プラス思考でいれば
自然と若々しくいられるはず。

プロ野球選手の夢が一転
歌手志望に

ワンパクでガキ大将だった少年時代。クラスメートの中では、お調子者で常に中心的存在だった。運動神経が抜群だった野村少年は、「長嶋茂雄」に憧れ、小学生から野球を始めた。プロ野球選手を目指し、野球部に入部するために高校へ進学し、練習に明け暮れていた。
「入部して間もなく、無理な練習がたたり思うようなプレーが出来なくなり、野球選手の夢を早々に断念せざるを得なくなってしまいました。元々サラリーマン生活は向いていないと思っていましたので、自分を生かせる道は何かと考えたのです。結果、在学中に決断したのが『歌手』への道です。本格的な歌のレッスンを受けたことなど勿論ありません。でも、野球の次に得意だった『歌』の世界で勝負しよう!と、あっさりと高校を中退し、『自分は歌手になる!』と周りに断言したのです。芸能界どころか、東京に誰一人として身寄りなどいませんでしたが、16歳でいきなり上京を決めました」

強運が引き寄せた運命の出会い

「上京して1ヶ月半が過ぎた頃、新宿のバイト先の靴磨きで、客として僕に声を掛けてきたのが、当時のサンミュージックの相澤社長です。突然『君、映画に興味はないかね?今度、事務所に遊びに来なさい』と名刺を差し出されました。数日後、半信半疑で三幸町の事務所を訪ねてみると、覗いた部屋には何と森田健作さんがいたのです。思い込みが人一倍激しく何事もプラス思考の僕は、『これで俺もスターになれるぞ!』と、転がり込んできた偶然に舞い上がりました。ウソのような話ですが、相澤社長と出会ってから半年後、トントン拍子にデビューが決まり、デビュー曲の『一度だけなら』は、瞬く間に大ヒットです。この年の紅白歌合戦にも出場しました。何の伝手も無く上京し、1年前はごく普通の少年だった僕が、1年後18歳を前にして、いきなり大きな夢を叶えてしまったのです。本当に強運だったと思います。『一度だけなら』は、実はクールファイブのアルバム中の一曲なのです。この歌が大好きで、僕が口ずさんでいるのを聴いた社長が、既に用意されていたデビュー曲を変更し、わざわざ僕の為に頭を下げて頂いた曲なのです。前川清さんの歌を何度も聴いて練習していたせいか、僕も直立不動で歌うようになりました(笑)」

当たり役
水戸黄門「柘植の飛猿」

数年後、ミュージカルの勉強を志した彼は、相澤社長の後押しもあり、N・Yの「ミュージカルアカデミー」に2年間の留学経験している。卒業の際のデモンストレーションでは、狂言・歌舞伎・能をアレンジし、鬼の姿で舞い、「見得を切る」という独自の芝居を披露し、スタンディングオベーションを受けた。アメリカでの体験で、「人ってこんなにも変われるんだ…」と自信をもらい、その後の役者人生に繋がったのだと言う。
「帰国後は、ミュージカル、テレビドラマ、映画の仕事を頂く機会が増えました。30歳になった頃、時代劇ドラマ『水戸黄門』で、怪力の忍者『柘植の飛猿』役で出演しました。役者として世間に認められるようになった作品です。役作りで苦労した事は何一つありませんでしたね。水戸黄門出演以来、里見(里見浩太郎)さんとは35年の付き合いになりますが、家臣の2代目助さん役の時と、出世(笑)してご老公様役の里見さんと共演しています。舞台の回数も多く、最近では3月にご一緒しました。ご老公様と飛猿はレギュラーですが、舞台では、助さん格さん役は純烈が演じましたね。舞台は最高に盛り上がりますよ!ストーリーがわかっていてもスカッとしますからね」

スポーツマン芸能人として君臨

「40歳を超えた頃、芸能人の身体能力NO1を競う番組のオファーがありました。運動神経自慢の20代の若者らとパワー・スピード・ジャンプ力をガチで競う当時の人気番組です。最年長の僕が優勝戦線に絡んだのですから、もう、周りはビックリでしたよ。2回目からケイン・コスギ君が参加してきたのですが、僕には、パワー系ではかなわなかったですね。50歳を超えるまで20回近く出演しましたが、モンスターボックスで毎年記録を伸ばし、50歳で17段まで更新した時には、さすがにプロデューサーも驚いていました。若い世代からは、スポーツマン芸能人として認知さるようにりました」

自分の歳を隠さず常にプラス思考で

「僕は今年で68歳ですが、自分の歳は絶対に隠しません。歳を重ねる事を悲観的に思わず、自分の年齢に胸を張っていたいですね。若さの秘訣は体を動かし汗を流す事。健康には動物性たんぱく質は欠かせませんから、肉は食べた方がいいですね」

60歳を過ぎてから、日本アームレスリング協会のマスターズで、日本代表としてアジア大会に出場している。衰え知らずの彼は、70歳を過ぎても、怪力忍者役の『飛猿』姿を舞台で演じ、ステージの上から熟年世代にパワーを与えてくれるに違いない。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile 野村 将希(のむら まさき) 1952年11月福岡県生まれ 兵庫県育ち
1970年6月「一度だけなら」で歌手デビューをし、同年の日本レコード大賞・日本歌謡大賞・日本有線大賞など新人賞を総なめ。その後修業の為、単身アメリカで2年間ミュージカルを学ぶ。帰国後、役者としての才能を開花させ1987年に登場したTBS系ドラマ「水戸黄門」の柘植の飛猿役が当たり役となり役者として注目される。芸能人スポーツ大会「スポーツマンNO1決定戦」には18回も出場しており、パワー系種目を制覇し「コロッセオの鉄人」の異名を持つ。