NHK連続テレビ小説で初めてカラー放送が始まった1968年、橋田壽賀子初の脚本『あしたこそ』のヒロイン役で脚光を浴びた藤田弓子さん。後の朝ドラ『マー姉ちゃん』でもヒロインの母親役を演じ、明るく頼もしい母親像で多くの人の共感を得た。元気印の象徴で、健康生活を地でいく彼女にお話を伺った。
断捨離中でも増やすものもあります!
~それは「友達」~
ラジオ番組の最終審査で
競った相手は、吉永小百合さん
実業家の跡取り息子だった父親は彼女が3歳の時に亡くなり、女手一つで大切に育てられた。幼い頃から映画館や美術館、スポーツ観戦など、当時には珍しいほど色んな所へ連れて行ってくれた母親とは大の仲良しで、好奇心旺盛なのは母親譲りだと言う。
「小学5年生の時、『赤胴鈴之助』のラジオ番組のオーディションが目に止まり、内緒で応募をしました。一次、二次審査を通過し、最終選考の二人に残ったのです。初めて母親に打ち明け、一緒に最終審査会場へ行きました。そこに、目を見張るような可愛い女の子がいて…。『一人しか選ばれないのだからとても無理だわ』と、諦めて帰ろうとした時、ラジオ局の人から『これはラジオですから(顔は映りません)』と、止められたんです(笑)。小百合さんは当時から天下の美少女、私はマイクに良く乗るはっきりした声が良かったのか、結果二人とも合格。夕方から毎日放送のラジオ番組が3年間続きました。楽しかった記憶しかないですから、この頃から表現する面白さは感じていたのでしょうね」
基礎を築いた文学座時代
高校卒業を間近に控えた頃、大学進学ではなく演劇の道を選択。本格的に演技の基礎を学ぶ為、当時の3大劇団『文学座』を受験し、難関を突破した。
「合格の理由を聞いたところ『役者は何と言っても声が大切。声が抜群に良かった』と褒められ、この時に『よし!私はやれる』と思ったのです。元々映画女優を目指していたのですが、文学座で生の芝居を観てとても感動をしました。様々な方から感銘や影響も受けましたね。文学座の大先輩には、尊敬する杉村春子さんがいらっしゃいますし、研究生仲間で同期の太地喜和子さんは、公私共に印象深いですね。全くタイプが違いますが、家が近かった事もあり直ぐに仲良くなり、お酒を飲みながら芝居の話を真剣に語り明かしたものです。女優の酒豪番付があり、彼女は東の横綱、私が大関でしたよ(笑)。お酒の席で色んな方と芝居の話が出来た事は、とても勉強になったと思ってます。青春の良い思い出ですね」
プロ意識が芽生えた朝ドラヒロイン役
連続テレビ小説で初めて橋田壽賀子が脚本を手がけた作品でヒロイン役に抜擢され、本格的に女優としての道を歩き出した。朝ドラ『あしたこそ』は、最高視聴率55%越えを記録し、彼女は朝の顔となり一躍有名になった。
「各劇団から選ばれたスター候補生が集まる中、厳しいオーディションが何日も続きました。でも、私は何故だか選ばれる自信がありました。私の為に働いてきた母と、経済的にもバトンタッチをしたいと考えていた時期であり、感性豊かに育つような環境を与えてくれた事、母が一番の私のファンでいてくれた事、そしてその母に良い演技を見せたいという強い気持ちだったと思います。演じる事が大好きで競争意識など無かった私ですが、朝ドラヒロインを経験する中で、周りの期待に応えたいというプロ意識が芽生えていきましたね。
これまで大好きな芝居を何十年も続けてこれたのはとても嬉しいですし、この先も生涯女優でありたいと思っています。私にとっては一作品ずつが全てオーディションのようなもの。『また次も一緒に仕事をしましょう(=藤田弓子でなければ)』と、監督さんに握手をして貰えたら、私の中で合格なんですよ」
夫婦二人、伊豆での生活
生まれ育った東京を離れ、伊豆の国市に移り住んで既に30年ほど。ご当地劇団『いず夢』を立ち上げ、座長兼演出を務める傍ら、『鎌倉殿の13人』の放映に合わせ、劇場内に設置された『大河ドラマ館』の名誉館長に任命されるなど、市の情報発信に貢献している。
「昔『駿豆鉄道』と呼ばれた伊豆登山鉄道の温泉街の小高い丘の上で暮らしています。目の前がドーンと富士山で、箱根や清水方面も見渡せます。別荘族ではないので、地元の方とのお付き合いは大切で、ゴルフや釣りを楽しむ仲間もいます。馴染みの鮨屋さんに行くのも夫婦の楽しみの一つ。今の時代、断捨離で色んなものを整理している方も多いでしょうが、増やすものがあります。それは『友達』です。この地では、故郷を分けて貰った分、お礼に地元で出来る事をしようと思っています」
オンとオフのはっきりとした
切り替えが元気の秘訣
「今は新幹線の本数も増え、仕事で東京へ行くことがルーティンになっています。『品川~』というアナウンスで急にスィッチが入り、自然に女優の顔に変わりますね。『生活と仕事』、それぞれ別の刺激を持てる事がパワーある生活の源になっています。『オンとオフ』の切り替えが大切で、変化を持たせる暮らし方に若さと健康の秘訣があるのではないでしょうか」
ラッキーカラーの黄色の洋服がとてもお似合いで、役の上での肝っ玉母さんとはまた違う品の良さが垣間見えました。9月で喜寿を迎えられたとは思えないようなおみ足の筋肉を目の前で披露?しながら、『お婆さん役を演じるには筋力が必要なのよ』と語る屈託のない笑顔がチャーミングで印象的でした。
聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二
Profile 藤田 弓子(ふじた ゆみこ) 1945年9月12日生まれ 東京目黒区出身
1963年文学座に入所。67年『カンガルー』で初舞台、68年NHK連続テレビ小説『あしこそ』でヒロインデビュー。73年より『小川宏ショー』のサブ司会や人気クイズ番組『連想ゲーム』の女性チームキャプテンを務めるなど、幅広い分野で活躍。映画やドラマで実力を博し、85年キネマ旬報最優秀助演女優賞を受賞。脚本家の夫と共に伊豆の国市で劇団『いず夢』を主宰、同市の大河ドラマ館の名誉館長を務める。