スタントを使わないアクション俳優として名高く、30年以上もVシネマを牽引してきた小沢仁志さん。『Vシネマの帝王』『顔面凶器』など、数々の異名を持ち、存在感ある独特の個性で悪役(?)を好演し続けている。映画の主演、監督の枠を超えさまざまなフィールドで躍動する彼が、人生の生きざまを熱く語ってくれた。
同じ魂を持った奇跡の集合体の一作
この冬、熱くなりたい方必見の『BAD CITY』
チャップリンに憧れた少年時代
小学生の頃はチャップリンと野球が大好きで憧れのチームは巨人軍、空手道場にも通うごく普通(?)の小沢少年。昭和ならではの理不尽で猛烈なしごきの中、根性だけは人一倍鍛えられたと語る。
「幼い頃に初めて観に行った映画が『チャップリンの冒険』。夢中で観たのが『燃えよドラゴン』。衝撃を受けたのは何と言っても『エマニエル夫人』だなぁ(笑)。『チャップリン、ブルースリー、シルヴィア・クリステル』、この3人が少年時代の憧れだったよ。これでも野球には結構打ち込んでいて、高校入学と同時に野球部に入部。でも、ちょっとしたトラブルで3年生と喧嘩になり、殴り合いをしてしまって…、停学になり野球部も退部になってしまった。そこから、漠然とこの世界(俳優)にシフトチェンジをした訳だ。高校3年の時に、千葉真一さん率いるジャパンアクションクラブの門を叩いたけど、当時は高校生枠が無くあっさり断られてしまったよ。空手や野球の猛特訓の中で、身体も根性もかなり鍛えられていたので、この頃にはおぼろ気ながらアクション俳優を意識していたと思う」
山崎努さんに魅せられて
「本格的に芝居を始めたのは20歳の頃。夏木陽介さん率いる事務所に入って、初めて貰った仕事が『太陽にほえろ!』の犯人Bのチョイ役。その撮影現場での揉め事で、監督さんを殴ってしまった事があった。俺らの時代は根性論が物を言わせ、『何やってんだ!そんな事もできないのか! バカヤロー!』なんてセリフは日常茶飯事。常時そんな中に居て、そこから生き残っていくには『ナメられたらいけない』と、思いっきりつっぱってたよ。若造で何も身に付けていない分、いじめに対して暴力で向かっていくようなガキさ加減があったね。
それがある日、山崎努さんが現場に現れた時、『オハヨー』の一言で現場がピーンと張り詰めた瞬間を目の当たりにしたんだ。『一流ってこういう事なんだ!俺のやっている事は三流だ。どうしらこの域まで達せるのか』と、真剣に考えるようになったね。結局、役者として売れて皆に認めて貰えないと駄目なのだ…と悟り、そこから変わったよ。25歳の時だな。
30歳を迎える頃には、若い頃一緒に仕事をしてきたスタッフも偉くなっていて、現場で俺を紹介する時、『この人何をするかわかんないから気を付けて』と、勝手に周囲に言ってくれる(笑)。若い頃暴れていた分、今は楽だね。謙虚におとなしく構えていられるよ」
若い頃の経験が財産となり、今が輝く
「今年で還暦を迎えたけれど、自分の中での区切りは何も無い。歳を重ねた分だけ、経験と人脈、失敗の歴史がある。それが自分に物凄くプラスになって、財産になっている。ガキの頃は単なるカラ元気だけど、経験によって裏打ちされ前に向かって生きていると、その経験がオーラになったり魅力になったりするわけだ。ところが、人生、引いて生きていると、その経験さえ無駄になってしまう。あの頃は良かった…、と振り返るのは絶対ダメだね。『経験を積んだ今だからこそ一番いい時』と思って生きていると、人は輝くはずだよ。
今までアクションをやってきて、身のこなしや動きの軽い30代が良かったとは思っていない。今の方が芝居に余裕や色気があり、アクションとしての魅力も増していると思うよ。70歳になった頃、本当に俺が目指している領域に届くんじゃあないかなぁ。だから、残りの人生の中で『どこまでできるのか』という事しか考えていない。ある時ピタッと人生の終止が打たれた時、『まぁまぁ頑張ったよな』と言える自分でありたいと思う」
自身の生き様をぶつけた
『還暦記念映画』
彼自身が『OZAWA』として、オリジナル脚本、製作総指揮を務めた還暦記念映画『BAD CITY』が間もなく公開される。CG無し、スタント無しの真剣勝負で、迫力ある演技と異常なまでの緊張感溢れるシーンが続く。映画全体がエンターテイメントの世界だと語る。
「殺陣が決まっていない真剣勝負のアクション撮影が続くので、ものすごいシーンが撮れるのは当たり前。映画全体をほぼキャスト全員CGや吹き替えはなしで行っているからね。よくある銃撃戦や同い年のトム・クルーズの戦闘機もの(笑)など、スケールで海外に向かっていくには相手がデカすぎる。けれど、歯車一つ一つは決して見劣りしない…、その歯車を集めて映画全体として観た時に、全世界にアピールできる作品になる映画を目指している。
キャスト全員が同じ魂を持って作り上げたこの映画に、今の世の中に必要な『熱さ』を感じて貰えれば嬉しいね。観終わった後、心が燃えてきて何かに挑戦したくなるような、熱い思いをぜひ体感してほしい」
ー映画のイメージとは真逆に「エヘヘ」と笑う彼に、お茶目さを感じて心が和む瞬間が幾度もありました。台本よりも読み込むというのが考古学の本だそうで、その知識の多さや深さに驚いた次第。ロマン溢れるトレジャーハンター的な考古学者になる日が来るかもしれない…と思わせるような真剣な話しぶりが印象的でした。ー
聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二
Profile 小沢仁志(おざわ ひとし)1962年6月19日生まれ 東京都中野区出身
1983年日本テレビ『太陽にほえろ!』で俳優デビュー。94年TBSドラマ『スクールウォーズ』で注目され、後、映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズで人気を集める。独特の個性で不動の地位を築き、Vシネマでもヒット作を連発させ、『Vシネマの帝王』の異名を持つ。監督・主演を務めた『SCORE2』(1999年)より監督名を『OZAWA』名義に。数多くのオリジナルVシリーズを持ち、還暦を迎えた現在、最新映画の製作総指揮兼主演を務めるなど、精力的に活動中。