テニスプレーヤーとして中学生の頃から世界の舞台で戦い、小柄な体型ながら世界トップクラスの選手と肩を並べ、数々の輝かしい成績を収めてきた。現役時代の海外転戦での舞台裏から引退後の育成指導など、国内外で日々奔走している彼女が、広い視点から語ってくれた。
何歳になってもチャレンジする気持ちを忘れずに!
楽しい事を見つけてアクティブに行動を
高校2年生でプロに転向
「アカデミーに通うようになって、テニスが何よりも好きになり練習がとても楽しかったです。週5、6回のアカデミーへの送迎から夕食の工夫など、母があらゆる面でサポートをしてくれましたので、自然とテニスに打ち込む環境にあったと思います。高校1年の3月に、プロも参加する『全日本室内テニス選手権』でアマチュアの私が優勝をしたのです。これがプロとしてやっていける自信となり、高校2年の10月にプロ転向を決意しました」
プロへの意識改革
海外転戦では毎回の食事がとても大切ですので、初期の頃はどの国に行っても手軽にバランス良く栄養が摂れる中華料理店に行く事が多 かったですが、ツアーにも慣れてくると、『その土地ならではの美味しい物を食さないと…』と、現地の料理を試してみるようにもなりました。遠征中は、その国の環境に自分が対応しなければないので、食文化以外に国の文化や国民性にもふれるよう心掛けました。日本とのギャップに苦労をしましたが、海外遠征を繰り返す中で、日本の治安の良さや安全性、人々の細やかさなど恵まれている部を再認識できたと思います」
テニスの真髄
「テニスと言えば、英・仏・米・豪で行われるグランドスラム大会が有名で、プロテニスプレーヤーにとっては特別な舞台です。プロはこの4大大会の頂点で自分のパフォーマンスを出し切る事を目標に、常に努力をします。ただ、良い状態の時ばかりではありません。悪い状態をいかに断ち切り、良いパフォーマンスができるようにもっていくか、試行錯誤しながら日々過ごしています。自分のベスト状態をいかに焦点に合わせて準備できるかに尽きると思います。
テニスはただ強ければ結果が出るのではなく、心や身体の状態、そして考え方や人生の捉え方まで、総合力で競います。『心・技・体』全てを上げていく事が実力に直結しますので、小柄で力のない私でも、世界で戦っていけたのだと思います。全て繋がってこそ結果が出せる、人として成長する為のチャレンジにやりがいを感じたからこそ続けられたのではないでしょうか」
どん底からの復活
「25歳の時、テニスを辞めたくなるほどのスランプに陥った時期があります。絶不調が続きツアー優勝からも遠のき、ランキングが落ちる恐怖を経験しました。そのスランプを乗り越えられたのは母の存在が大きかったですね。引退の相談をした私に『ここで辞めたら、他の何をしても上手くいかないのでは。プロとして自分のやるべき事はやり切れたの?』と。母のこの言葉にハッとし、『自分にはまだやるべき事がある。テニス人生を全うしなくては…』と、プロとしての甘さに気付かされ、再スタートを切るきっかけとなりました。そこから3年後、スコッツテール大会での5年ぶりの優勝は、特に印象深く心に残っています。一回どん底を味わい、そこから再チャレンジでの復活です。このスランプがあったからこそ、人生良い時ばかりではなく、苦しい時間の中に上に向かうための必要な時間があると実感できました。ピンチがチャンスに好転する機会を頂けたのだと感謝しています」
引退、そして再出発
テニス人生を全うし、心身ともに出し切ったとの思いで、引退を決意したのが2009年、34歳の時だ。
「引退後は、トークショーやテレビ、ラジオなどのオファーを頂き、選手時代には出来ない経験もしました。とは言え、明確な目標が持てない空虚な時期があったのも事実です。ですが、『自分としっかり向き合い、10年間位の長いスパンをかけて第2の人生の転職に出会えればいい』と心をリセットした事で、気持ちが大分楽になりました。ゆっくりと自分が本当にやりたい事に出会い、テニスで培ってきた総合力を生かせれば、と思えました。プライベートを優先させようという余裕も生まれ、結婚や出産など、現実的な目標も見えてきましたね。
現在、地元で経営しているテニスクラブでジュニア育成もしています。去年1月に日本女子テニス代表の監督に就任をした事で、ビリー・ジーン・キング・カップという新たな目標が生まれました。私自身、ジュニア時代からテニスを通して色々な事を与えられ、今があります。今からはその恩返しが出来れば、これ以上幸せな事はありません」
プライベートでも、良きパートナーであるご主人と、8歳と2歳のお子様にも恵まれ、とても充実したご様子。着実に第2の輝いた人生を歩んでいるのだとお見受けしました。
聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二
Profile
Profile 杉山 愛(すぎやま あい)1975年7月生まれ 神奈川県横浜市出身 B型
4歳でテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニア1位、17歳でプロ転向。グランドスラムでは女子ダブルス3度の優勝、混合ダブルスでも優勝を経験し、シングルス連続出場62回の記録を持つ。オリンピックに4回連続出場。引退後、テニス中継の解説や情報番組のコメンテーターなど多方面で活躍。杉山愛ジュニア育成基金を立ち上げ「Road to Grand Slam」プロジェクトを始動。2023年テニス指導者としてビリー・ジーン・キングカップ日本代表監督に就任し、テニス普及活動や慈善活動に取り組む。