実力派兄弟デュオとして「あずさ2号」でデビュー、いきなりスターダムに上りつめた『狩人』。10代ながら大人びた雰囲気と圧巻の歌唱力が話題を呼び、多くのファンを魅了した。現在も歌手『高道』として、ライブ活動を中心に、様々なジャンルの曲を歌いこなし、ステージ上で色褪せないパフォーマンスを披露している。時代を超えて歌い続ける彼にお話を伺った。
歳を重ねた今だからこそできる
ストレスをためない健康的な生き方を始めましょう
歌謡曲を聴いて育った少年時代
5人兄弟の末っ子で活発な高道少年は、歌も運動もずば抜けて得意。学校の人気者でリーダー的な存在だった。兄達の影響を受けて育った彼は、小学1年の頃には、既に歌手になる将来を描いていた。「歌との出会いは、『橋幸夫さん』の大ファンだった2番目の兄の影響です。僕が生まれた昭和35年にデビューした橋さんの歌を聴いて育ち、幼くして当時の歌謡曲が体に染みついていました。歌手志望だった2番目の兄は歌手にはならず、直ぐ上の兄・久仁彦とユニットを結成することになるのですから、運命はわからないですね…。
僕は中学卒業と同時に歌手になるために上京し、歌のレッスンを受けながら歌手デビューのチャンスを狙っていました。直ぐ上の兄も僕も元々ソロ歌手が希望で、同じ先生の下で歌を習っていたのです。ある時、大手レコード会社のオーディションを受けるチャンスがあり、その時初めてぶっつけ本番で二人で歌いました。その場で出された課題曲を即興で兄がハモり、声質は全く違うのに、不思議とピタッと合ったのです。二人とも幼い頃から同じように音が体に染み付いているので、感覚が分かりあえるのだと思います」
名曲「あずさ2号」との出合い
オーディションの際に二人で即興で歌った『野口五郎』さんの『私鉄沿線』を聴いた作曲家・都倉俊一氏が、「この二人に曲を作ってみたい!」との思いで、世に送り出されたのが、デビュー曲『あずさ2号』だ。
「歌謡界の作曲家の第一人者として、『山本リンダ』さんや『ピンクレディ』の曲を書き、大ヒットをさせている大先生が、まだデビュー前で無名の僕達の曲を書き下ろしてくれるなんて、今思えばとんでもなく凄いこと。とても有り難く思っています。この曲を頂きレコーディングをした時はまだ16歳で、とても大人びた曲でしたが、『これは売れる!』と直感しました。恩師である都倉先生から、『常にあくなきハンター(狩人)であれ、獲物を狙ったら逃すな』というメッセージと共に、『狩人』という名前を頂きました。
こうして10代の兄弟デュオが誕生したのです。曲のイメージに合わせ、アイドル路線とは一線を画し正統派歌手として売出し、表情をあまり変えずに笑わないように、取材の時でさえ『笑顔は禁止』というのが事務所の方針でしたね」
『高道』としてソロ活動へ
20年の時を経て、個々のメディアへの出演も増え、本格的なソロ活動の時期に入った。2000年に初めてソロアルバムを出し、ステージ上ではこれまでに観られないような挑戦をし、新たな活躍の場を広げていった。「元々二人ともソロデビューを希望していましたので、若いうちに一旦やりたいことをやろうという気持ちがありました。ものまね番組に出演し、三橋美智也さんや北島三郎さんのものまねをしたり、『タカとロザンナ』としてロザンナさんとデュエット、昭和のアイドルユニット『ティーフォー』を結成して歌って踊って…遊び心を取り入れています。アップテンポな曲や最近はやりの曲を歌ったり、タップダンスも披露していますよ。基本は皆さんに喜んで頂き、自分も楽しめるようなステージです。とてもエネルギッシュなステージになっていますよ」
コロナの影響で、初めて生配信ライブをやったのですが、今も毎月続けていて、まる4年で48回になります。季節毎に、梅雨の時期には『雨』の曲、真夏は『太陽』の曲など…、テーマを決めていますね。普段ライブに来れない人達が大勢観てくれ、大きな反響に繋がっています」
目指すはエンターテイナー
年間を通して、大小かなりのライブの数をこなしている高道さん。浅草のうなぎ屋さんや新宿の叙々苑など、食事とコンサートが楽しめるものもあり、アットホームで和やかなステージだ。彼ならではの楽しめる内容で、狩人時代のファンのみならず、ステージを観て新たにファンとなり会場に来られる方も多いそう。
「僕は、幅広い世代の皆さんと一緒にステージを楽しめる『エンターテイナー』でありたいと思っているので、ステージ上では、フルートやサックスなどの楽器や踊りも披露します。柔軟に何でもこなせる器用さはあると思うのですが、良いのか悪いのか…、要は器用貧乏なんです(笑)。でも、やはり歌手として歌謡曲を中心とした『歌』が僕の真髄ですので、それを究めるのが今後の目標ですかね。
毎年末に行う『狩人』のディナーショーは、ファンの皆様に楽しみにしていただいているもので、僕も大切にしているイベントの一つです。ソロ活動をしてみて、改めてハーモニーの素晴らしさに気付きました。今後も兄とのデュエット、ハーモニーを大切にしていきたいですね。一緒にハーモニーをする相手は、兄以上の人はいませんし、兄の素晴らしさが分かったのも色んな経験を積み勉強をしたおかげだと思っています」
自己メンテナンスを大切に!
「お客さまの前に出ることはやはりパワーが必要ですので、僕は自己メンテナンスとして『声のクリニック』に定期的に通っています。後は、何と言っても『睡眠』を大切にすること。大事なイベントの前日でも、自分にプレッシャーをかけずに緊張せず、熟睡できるように…。ステージで失敗をしても、命までとられる訳ではないので(笑)。やはりこれからは、ストレスを溜めない、健康的な生き方が一
番ではないでしょうか」
聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二
Profile 加藤 高道(かとう たかみち)1960年1月21日生まれ 愛知県岡崎市出身
1977年、兄弟デュオ『狩人』として歌手デビューし、『あずさ2号』『コスモス街道』など、ヒット曲を連発。第19回日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞し、同年の紅白歌合戦に出場。後2007年の解散以降は、ソロでのライブ活動を中心に全国津々浦々で「夢コンサート」を精力的に続け、幅広い音楽活動で多彩な才能を発揮。作詞・作曲家としても活躍中。