スペシャルインタビュー 梅宮アンナさん

ファッション雑誌『JJ』専属モデルや『CLASSY』歴代カバーガールの代表的存在だった梅宮アンナさんは、かつて『熟年ばんざい』にもご登場いただいた昭和の名優・梅宮辰夫(享年81)さんの愛娘。生涯6度のがんと闘う父親の姿を目の当たりにした彼女だが、自身もまた乳がんに罹患していることを去年7月に公表した。前向きに病気と向き合っている今だからこそ伝えらる心境を、彼女のブレのない言葉で語った。

自分の『心と体の声』に耳を傾け
しっかりキャッチしてほしい!

ひとりの世界が好きな少女時代

華やかな芸能の世界に19歳から身を寄せ、勢いそのままモデルとして20代を駆け抜けた彼女は、さぞかしキラキラした少女時代をおくって来たのか…、と思いきや、一人っ子だったせいもあり一人の世界が大好きで、いつも一人物思いにふけっているような少女だった。
「学生時代、特に芸能界に憧れていたわけではなく、CAさんになりたいという夢を持っていました。ところが、1970年生まれはとにかくベビーブームで、何をするにも競争で倍率がとても高く、受験も就職も超難関でした。もともと大学には行く気が無かったので、就職はどうしようかと悩んでいた頃に、全く興味のない芸能界からのスカウトを受けたのです。高校当時、渋谷駅から自宅までの帰宅途中に、芸能プロダクションの名刺を毎回30枚ぐらい貰っていたのですが、そもそも私自身は自分に自信が無かったし、普段鏡を覗いているような女の子っぽいところがあった訳ではなかったので、芸能の仕事は眼中になかったですね。就職先も決まってない中、こんなに一生懸命誘って頂くのだったら、やってみてもいいかな…くらいの気持ちからの『JJ』モデルスタートでした」

自由で豪快な父親の姿

「父親の料理好きは有名ですが、殆ど趣味の世界なので高級食材を平気で3日間くらいかけて調理をするようなこともしばしばでした。お酒が大好きだったので、ツマミになるような『一人勝手気ままご飯』という感じで、家庭料理とは程遠い男の料理を作っていましたね。ですから、周りの人に『お父さんが料理上手で色々作ってくれていいわね』と、よく言われるのですが、私はハンバーグやスパゲティが好みだったので、それぞれ自分の食べたい物を自分で作っていました。一緒に食卓を囲むという時間は大切ですが、食べている物はめいめいで違っていましたね。
父親の生活ぶりは、とにかく何をやるにしても豪快そのもの。時代が時代でしたので、かなりの無茶ぶりもしてきた人だと思いますが、夢を実現させていく力のある人でした。誰でも俳優になれる訳ではないにもかかわらず、俳優になったきっかけは、芝居が好きなのではなく、単に女性にモテたかったから…と言っていましたからね(笑)。後に俳優になったら、『海の見えるところに家を建てたい』という夢を抱き、こうして真鶴に別荘も建てましたので、有言実行の人だったと思います。とにかく偉大な父親でした」

父の看病を経験して

梅宮辰夫さんは、30代半ばだった1974年から計6度ものがんに見舞われている。アンナさんは、病気と闘いながらその度に克服、復活を遂げていく父親の姿を身近で見てきた。梅宮辰夫さん最後の2年間の様子をこう語る。
「父はもともとがん体質ということもあり、胃や大腸にポリープができては切るといような生活をずっと繰り返していました。十二指腸にがんができてしまって、全摘をしたのが2017年。そこから、2年間の闘病生活が始まったのですが、父の性格がどんどん変わっていく様子が心に刻まれています。人間って体が弱っていくと、心も弱って病んでしまうんだなぁ…と実感させられる瞬間が幾度もありました。
腎臓にがんが見つかった時には、日本では家族間でしか認められていない腎臓移植手術を希望し、腎臓提供の意思をお医者様にお伝えしたのですが、『アンナさんは娘さんがいらっしゃるので、将来何かあった時のために、腎臓はとっておくべきです』と、止められました。最終的に片方の腎臓を摘出し透析治療を始めるのですが、それが予想以上に負担だったとみえ、徐々に以前の父親の姿が失われていきました。あんなに穏やかで優しかった父が、家族に罵倒を浴びせ、私の顔を見ても怒鳴る事しかしなくなったのです。病気のせいと判っていても辛かったですね。心が崩壊していく様をまざまざと見せつけさせられました」

乳がん罹患を公表

去年7月に自身の乳がんを公表した彼女は、自身のSNSを始め様々な方法で途中経過を発信し、がんに対する認識や理解を得られるための活動を始めている。
「私の中ではがん罹患を公表しないという選択は一切なく、一つのケースとして、現状を皆様にお伝えしていこうと思っています。
私は乳がんの中でも日本人には5%程度しかいないと言われている浸潤性小葉がんです。毎年人間ドックを受けてはいるものの、健診の結果は特に異状は出ませんでした。数か月後、シャワーを浴びている時に左右の胸の大きさがあまりにも違う事に気付き、年齢的に更年期障害なのかと思いましたが、娘の勧めもあり直ぐに検査を受けたのです。マンモとエコー検査でははっきりせず、生検で小葉がんステージⅢと診断されました。
私は身近に父や叔母ががんの標準治療で社会復帰している姿を見てきているので、標準治療のフルコース(手術・抗がん剤・放射線・ホルモン治療)を迷わず選択しました。世の中には、がんには全く縁が無く、抗がん剤に不信感を持っている人もいると思います。また、自由診療の免疫療法などの民間療法を進める方もいらっしゃいますが、それはそれぞれの価値観なのです。今の治療法に関して言えば、現実的でわかりやすい説明をして頂け納得しています。抗がん剤治療は毎週1回で全部で12回。現在3回目の治療が終わりましたが、安定していますよ。毎週先生に会うのが楽しみなんです(笑)」

CLASSYでモデルをしていた当時のアンニュイなイメージとは違い、フレンドリーで飾らない言葉で飄々と語るとアンナさん。治療がこのまま順調に進むこと、そして病気に前向きな姿勢が読者の皆様に元気と勇気を与える事に繋がればとても嬉しく思います。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

 

Profile 梅宮 アンナ (うめみや あんな)1972年8月20日生まれ 東京都出身 0型
1990年代にスカウトをきっかけに、女性雑誌『JJ』のモデルとしてデビュー。数多くの人気ファッション誌の専属モデルとしてカリスマ的人気を誇った。後、タレントとしてTVのバラエティやトーク番組を始め、雑誌、イベントなど、幅広い分野で活躍。2018年から、YouTuberとしての活動もスタートするなど、日々奮闘中。