
パワーを感じる民謡調の歌唱法で「帰ってこいよ〜♪」と熱唱し、異色の演歌歌手として話題を集めた松村和子さん。田原俊彦、松田聖子、岩崎良美……、続々とアイドル路線のデビューが続いた1980年、ロングヘアで振袖と白いパンタロンの和洋折衷の衣装で、肩から掛けた三味線をギターのように弾く姿は、強烈に印象に残っている。デビュー45周年を迎え、当時と変わらぬ歌声を披露する彼女の素顔に迫った。
何かを始めるのに遅いということはありません
今やれることを精一杯やり切りましょう
野口五郎に会いたい一心で目指した歌手への道
北海道の北の果て、稚内に辿り着く途中にある日本海側の小さな町で生まれた少女は、とても引っ込み思案。地元で芸能プロダクションを経営する父親と、民謡歌手で民謡茶屋を営む母親の元、幼い頃から歌に囲まれた環境で育った。
「人前で話すのは苦手だった私ですが、小学校のお楽しみ会では、母がいつも店で歌っていた山形民謡『真室川音頭』を歌うと、大受けでとても喜んで貰えました。中学の修学旅行の時には『リンゴ追分』を披露する機会があり、拍手喝采でした。当時から歌う事は大好きでしたが、歌手になりたいとは思っていなかったですね。歌手を目指そうと思ったのは、父のアイドル興行に出演した『野口五郎』のステージを間近で観て、大ファンになってから。ファンクラブに入会はしたものの、北海道に居ては所詮会う機会には恵まれない…、東京で歌手デビューすれば、『野口五郎』にお近づきになれるかもしれない…(笑)。きっかけは野口五郎ありきだったのです。
そんな時、一大民謡ブームを築いた『金沢明子』に継ぐ若い民謡歌手をビクターレコードが募集している、という情報を父から伝えられました。オーディションは二の次、五郎に会いたい一心で東京へ行ったのです。当日は会場で3曲を歌うや否や、すぐさま五郎が出演する番組スタジオを観覧していましたね」
テクノ演歌『帰ってこいよ』誕生
「しばらくしてビクターレコードから『民謡ではなく演歌でやってみませんか』と、お誘いの連絡があったのです。演歌界で有名なディレクターさんに、私の声が耳に止まったらしく、い
きなり歌手デビューのチャンスが舞い込みました。ただ、その頃は民謡が板についてきて、道内を周ってステージで歌うのが楽しくなりかけていました。民謡の世界も捨て難い…と悩みましたね。でも、周りの皆に『こんなチャンスはそうそうない!演歌でダメだったらいつでも故郷に戻って、また民謡を歌えば良いのだから』と説得され、上京を決心しました。デビューさえすれば、五郎に会える!という安易な気持ちもありましたしね(笑)。
デビュー曲のデモテープが送られてきたのが、17歳の夏。ピアノの弾き語りでだみ声で歌う古臭い曲に、まだ若かった私はかなりショックを受けました。こんなダサい曲を歌うの?と耳を疑ったくらいです。ところが、約1ヶ月して再度送られてきたカラオケ版『帰ってこいよ』のテープを聴いた瞬間、またも衝撃を受けたのです。アレンジが施された三味線のイントロは、演歌とも民謡とも言えず、聴く人の印象で全てが変わってくる曲調に編曲されていました。斬新なロック調この楽曲は『テクノ演歌』なんて言われ、話題になりました。デビュー当時、津軽三味線をギターのように肩から掛け、ロングヘアーに振袖と白いパンタロンを組み合わせた和洋折衷スタイル、これは民謡を歌っていた頃の父のアイディアです。『帰ってこいよ』のインパクトの強いあのジャケット写真も、異色の新人として売り出す戦略かと思われがちですが、実は道内で民謡を歌っていた頃のスタイルなんですよ」
パワー全開のステージ
演歌歌手は長い下積み生活が当たり前とされていた時代、その定番を覆し、デビュー曲「帰ってこいよ」はいきなりの大ヒット。その年の新人賞を総なめにした彼女は、翌年の紅白歌合戦への初出場を果たした。念願だった野口五郎との共演も早々に叶ってしまい、デビュー2年にして全ての夢を掴んだのだった。
「『帰ってこいよ』は海外でも浸透していって、アメリカやブラジルなどの日系人の間でも流行り、カラオケブームにも乗りました。初めての海外公演は、1982年に細川たかしさんとのハワイお正月公演。ロサンゼルスやブラジルなど海外コンサートも実現できたのです。日系人のお客様は、日本語がわからなくても日本語で歌ってくださり、とても熱狂的でした。自分の曲が、楽曲として大きく育ってきていると実感できました。
今でもステージでは原曲キーで歌っていますが、特に喉を鍛えるためのトレーニングはしていません。発声練習や喉のケアもなしです。『帰ってこいよ』が、いきなり高音から始まる曲だったので、それに慣らされたというか…、ステージでは集中して一発勝負的な感覚でいつも歌っています」
2月に日本橋三井ホールで後輩である『二見颯一』のバレンタインコンサートの特別ゲストで出演し、『夏女ソニア』(もんたよしのり&大橋純子)を軽快なリズムに乗せて熱唱した。高音を張り上げたような歌い方は今もご健在で、幅広いジャンルを歌いこなす彼女の今後のステージが見逃せない。(告知参照)
やりたい事があるのは幸せ!
「有り難いことに、今まで歌一筋でやって来ることが出来ました。15歳から民謡の舞台で育ち、その後すぐに歌手デビューをしているので、趣味の時間を持つという事が無かった気がします。ところが犬を飼ってから、色んな繋がりができ、今までにない世界が広がりました。インドア派の私が、同じ犬種を飼っている仲間とのオフ会に参加するようになったのです。また、犬の洋服を作りたい一心でミシンを始めると、モノ作りが楽しくてハマってしまい、生地を見ると作りたい!と思ってしまうほどです。今日のステージ衣装小物も自作なんですよ! 好きな何かを始めるのに遅いという事は無い! と感じています。年齢は関係なく今やれる事をやらなきゃ…、今やりたいと思える事はきっとやれると思います」
聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二
Profile 松村 和子 (まつむら かずこ)1962年3月23日生まれ 北海道出身
1980年、ビクターレコードより異色の演歌歌手としてレコードデビュー。デビュー曲「帰ってこいよ」がビックヒットを飛ばし、同年、日本有線大賞最優秀新人賞、FNS音楽祭優秀新人賞、日本レコード大賞新人賞など、数多くの新人賞を受賞。翌年の紅白歌合戦にも出場するなど、実力派演歌歌手。現在もコンサートやイベント活動をこなし、地道に活躍の場を広げている。