山本 譲二さん

熱血高校野球球児で夏の甲子園大会にも出場をしている山本譲二さん。新宿コマ劇場で北島三郎さんの楽屋に何度も通い詰めたのも有名な話。長年の修業が実った上で、北島氏を「親父」と慕うことを許され北島ファミリーの旗頭的存在となった。そんな熱血感溢れる山本譲二さんのインタビューをお楽しみいただきたい。
体は老いても、心は老いるはずはない。
       『熟年』って素晴らしい!
Profile 山本 譲二 (やまもと じょうじ)
1950年2月生まれ 山口県出身 1978年に北島音楽事務所に移籍し、本名で再デビュー。「みちのくひとり旅」が100万枚の大ヒット。「第23回 日本レコード大賞」ロングセラー賞、「歌謡祭音楽大賞」優秀歌謡音楽賞、「全日本有線大賞」グランプリなど各賞受賞。後、「古賀政男記念音楽大賞」大賞受賞。通算10回のNHK紅白歌合戦の出場を果たし、自他共認める実力派演歌歌手。現在はコンサート活動の他、ラジオのパーソナリティーを務めるなど幅広く活躍中。
――部活終了後の部室が毎晩のステージ
 「譲二、歌うたえや!お前、野球より歌の方が上手いんやないか!ひょっとして歌手になれるんとちがうか!」
 そんな先輩達との絶えない会話が当時の山本青年の心には強く響いたのだろう。「俺、歌手になれるんじゃあないか…」と本気で思い込んでいたのが歌手になろうと思ったきっかけだったと言うから驚いた。高校時代から、部活後に得意の青春歌謡を先輩たちの前で披露し、くたくたの仲間の心を癒していたのだった。
――不遇の下積み時代から
 「売れない歌い手ってこんなに寂しい生活をしないといけないのか…、こんなに乱暴に扱われないといけないのか…。そんな毎日でしたね。でもこの生活に慣れないといけない。けれども、あんまり慣れすぎるわけにもいかないだろう。いつかこの現場から抜け出してやろう。そんなパワーをいつも持って、この現場を歩いていましたね。大平原なんてないんですよ。毎日毎日、目の前にある草を分けて分けて分けて、分け切った時に「みちのくひとり旅」と言う大海原が出てきて、そこから日の当たる道を歩けるようになった。歌手人生のスタートを一言で言うとこんな感じですかねっ」
――スターは一夜にして出来上がる
 「雲の上の存在のあの方(北島三郎さん)の楽屋に毎日通ったのは有名な話になりましたが『あの方だったら、自分を気に入ってさえくれれば、絶対チャンスを与えて下さるに違いない。』そう信じてましたし、全くその通りの素晴らしい方でした。『口で言うより手の方が早い』と言う気の短さはあったものの、スポーツ根性に揉まれて育った僕には、それがかえって気持ちよかったですね」
 30歳で「みちのくひとり旅」をリリースした時、北島三郎さんから「この曲で駄目(売れない)なら、もう歌手をやめろ」とまで言われていたそう。
 「『みちのくひとり旅』を初めて聞いた時、鳥肌が立ったのを覚えてますね。僕が土下座までして頂いた曲です。『この曲以外は絶対歌いたくない』と突っ張って一年間歌い続けた結果、有線でようやく火が付いたわけなんです。偶然通りかかったパチンコ屋さんから流れて来たこの曲を聴いた時、『みんな!この曲、僕が歌ってる曲だからパチンコ打つ手を休めて聞いて下さいよ!』と言う思いになったのを今でも忘れられません。
 リリース後、年を越し一年近くが経過した1981年、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」に注目曲として出演するや否や大反響を呼び、その日から僕の歌い手としての人生が変わりました。もう次の日から、どこへ行っても黒山の人だかり。『スターは一夜にして出来上がる』と言う伝説めいた言葉があるのですが、これって僕に当てはまるよな、と思った嬉しい瞬間がありました」
――故郷でのコンサートと新曲への思い
 去年、デビュー40周年を迎え、さらなる意欲を燃やす山本譲二さん。一つだけやり残したことは、大切にしている大好きな故郷での記念コンサートだと言う。このコンサートを今年の一つの目標にしていると語る。
 また、新曲「北の弧愁」を売り切ってみたいと言う思いを、私たちの前で心地良い歌声と自然なアクションを交えながら熱く話してくれた。
 「ロッカバラードをぜひ歌ってみたいと言う僕の強い希望があり、この曲が出来ました。大満足の曲で、この曲が山本譲二の何かを変えてくれるのです。この曲がもっと動けよ!と語りかけるんです。この曲が売れてほしいしですしこの曲に感謝です」
――生きていることに感謝 今の自分に感謝
 「熟年ってとってもいいじゃないですか。ある時期から一発目の鱗が取れて、『ああ、こういう事だったんだ』とわかってきます。枯れ葉だって命があって軽やかに舞うことが出来るじゃないですか。歳を重ねるごとに体は老いていきます。でも心は決して老いません。熟年って素晴らしい!」
 歯切れのいい物言いやしぐさに、野球で培われたと熱血精神と男らしさを感じさせられたインタビューでした。

2015年2月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)