スペシャルインタビュー 佳山 明生さん

女性のひとり未練酒を描いた昭和の名曲『氷雨』。哀愁をおびた歌詞と控えめな甘い歌声が聴く人の心にしみ、時間を掛けて浸透していった。この曲の歌い手であり、故・古賀政男氏の最後の門下生である佳山明生さんにお話を伺った。

『あなたに会えてよかった』そんな出会い
があれば、人生はそれだけで成功

漁師町の幼いアイドル

函館の漁師だった父親が51歳の時の子供で、8人兄弟の末っ子として育った。彼が7歳の時に父親が他界。明治生まれの母親は、愛情たっぷりながらも、しつけには父親の分までかなり厳しかったと語る。
「家にはよく漁師さんが集まり『江差追分』などの民謡を歌い酒盛りをするんです。若原一郎さんの『おーい中村君』、三橋美智也さんの『夕焼けとんび』など、小さい頃から憶え皆の前で歌っては得意になっていました。母も姉も歌が大好きだったこともあり、幼心に『大人になったら歌手になりたい』と自然に夢みるようになりました。
高専時代に級友から地元函館ののど自慢大会に誘われ、洒落で飛び入り出場したのですが、いきなり優勝してしまって…。そこで子供の頃に思い描いていた歌手への夢に再び火が付きました。家族や先生を説得し、3年の途中で中退、何のあてもないまま上京を決意したのです」

古賀政男氏の最後の門下生

東京ではバイトに明け暮れる日々が続いたが、22歳で那須高原にあるホテルの専属歌手として第一歩を踏み出した。ホテル内には本格的な舞台があり、フルバンドが入って豪華なステージが日夜行われていた。
「出演前に、美和明宏(当時の丸山明宏)さんを紹介され、『イイ山で明るく生まれる』との願いと、彼の2文字を頂き、『佳山明生』の芸名を授かりました。毎日ステージで実践をこなす日々は楽しく、瞬く間に2年が過ぎました。ですが、歌手を目指して中退までして函館を出て来た時の志が頭から離れなかったんですね。『ここでくすぶっている訳にはいかない』と、ホテルの専属歌手を辞め、初心に戻り東京で全国展開を目指す決心をしました。基礎からもう一度歌の勉強をやり直したいと考え、古賀政男先生の門を叩き、運良く3回目にして歌を聴いて頂くチャンスに恵まれたのです。先生の門下生として入門の許可を頂き、プロとしてデビューするための特訓が始まりました。セミプロとして身につけた枝葉を全部切り取られ、歌の真髄を教わりました」
デビューにこぎつけたのは、入門から2年後、函館を出て7年目だった。

名曲『氷雨』誕生秘話

デビュー曲『氷雨』は、人々の心に浸透し、昭和の名曲として燦然と輝いている。作詞・作曲は、当時はまだ無名だった彼の友人、とまりれん氏。実際にあった一夜の出来事からこの歌詞が生まれたという。
「音楽創作の傍らスナックを営んでいた彼の店で、凛とした着物姿の女性が一人お酒を呑んでいて…。彼女がカウンター越しに話した言葉を、そっとコースター30枚に書きしたためたと言います。それを繋げて曲にしたのが『氷雨』。彼女のセリフが、そのまま歌詞になったのです。
『氷雨』を発表してから5年間、全国3500件のスナック、有線放送やラジオ局、レコード店を入れると一万カ所は回ったかなぁ。殆どが手売りでのキャンペーン活動でした。爆発的なヒットになるまでに5年。今、振り返ってみると運が良かったんですね。偶然の積み重ねで、ここ迄こぎ着けたのだと思っています」

魂を込めた『歌唱味』のある歌を

「50年間歌っていて思うのは、歌に大切なのは歌唱力ではなく『歌唱味』。その人の人間性とか生き様が言霊となって自然と歌声の中に入ってくるのです。楽曲だけではただの物で、歌う事で生き物にするのです。歌に魂を、命を吹き込むのが歌い手の役目なのです。私のステージでは、聴いている方の心臓の鼓動や歩く歩調と同じリズムを意識して、心地よく皆様それぞれの思いを巡らせて頂けるよう心掛けています。
山を登っている時は無我夢中で何も見えないもの。下る時に初めて世の中の色んな事が見えてきます。歌手人生で天も地も経験した今だからこそ、伝えられる事があります。それを歌に乗せてお届けするのがステージ。キザな言い方ですが『愛』、相手の事を考える『やさしさ』が、私のステージでの、そして人生のこだわりです」

人との出会いが人生を作る

「現在の『佳山明生』があるのも数々の出会いがあったから。そこから歌の真髄、人生の哲学、そして歌手としてのステージを学びました。
古賀先生は歌のレッスンを離れると普段はホンワリした方で、夏になると寅さんさながら、腹巻とステテコ姿に麦わら帽子で庭を散歩するような茶目っ気たっぷりの方でした。まだ半人前だった私は、歌の肝心な部分、奥義を学びました。先生に師事できた事は、歌手人生で本当に幸せな事です。また、東京で父親のように慕っていたのが、『指圧のこころ~母心~』で有名な浪越徳治郎先生です。『君は必ず大成する人間だから頑張りなさい』と、応援し支えてくれました。売れない時代を乗り越えられたのは、先生の言葉があったからこそ。そして、歌手としてのステージの原点は『♪デ~オ』で始まるバナナボートを歌ったハリー・ベラフォンテ。彼のステージを観て今の私のステージが確立しました。ひばりさんも裕次郎さんも、世界で一番好きな歌手と言っています。同じ価値観で観ていたんだなぁ、と…。嬉しいですね。
長い人生、大切な出会いが必ずあります。その中で、唯一自分で選ぶのが人生の伴侶。『あなたに会えてよかった』と思える出会いがあれば、それで人生は成功と言えるのではないでしょうか」

彼がステージで大切に歌っている『氷雨』は、今上天皇が唯一カラオケでお歌いになる曲だそうです。少し憂いを帯びた優しさあふれる歌声はご健在で、心地よく耳に入ってきました。ステージで、これからも輝きを放ってくれることでしょう。

聞き手 高橋牧子
編集長 山本英二

Profile
Profile 佳山 明生(かやま あきお)1951年9月生まれ 北海道函館市出身
1970年、作曲家古賀政男氏の最後の門下生として師事。77年のデビューシングル『氷雨』は、83年までに再々々発売され、旭川有線大賞や全日本有線放送大賞を受賞。後に全国的ヒットとなり「第25回日本レコード大賞」ロングセラー賞を受賞する実力派演歌歌手。現在は、コンサートやイベント活動のほか、DAMチャンネル演歌、YouTubeなどで幅広く活動。笑いと涙あるトークでラジオ番組でも活躍中。