大林 素子さん

バレーボール現役時代、サウスポーのエースアタッカーとして全日本の中心選手として大活躍していた姿は、老若男女問わず記憶に残っているに違いない。そんな大林さんは驚いたことに、小学生の頃は、運動が苦手で引きこもりがちだったとか。引退後、華麗に転身をとげ活躍の場をかえて輝き続けている彼女にお話を伺った。
夢は
『大河ドラマ』
『ミュージカル』
『東京五輪の実況』
挑戦が続く限り輝き続ける
Profile 大林 素子 (おおばやし もとこ)
1967年6月生まれ 東京都小平市出身 バレーボール東京都中学選抜~八王子実践高校~日立~アンコーナ(イタリア・セリエA)~東洋紡でバレーボール選手として活躍。現役時代はソウル・バルセロナ・アトランタと3度のオリンピックを経験。引退後、スポーツキャスター・タレント・舞台女優もこなすなどマルチぶりを発揮。日本スポーツマスターズ委員シンボルメンバー、日本バレーボール協会テクニカル委員など要職にも就任し幅広く活動中。
――人生を変えた一通の手紙
「小さい頃から歌や踊りが大好きで、ずっとミュージカルやお芝居をやるのが夢でした。でも、すでに小学6年で170㎝もあったので身長の事でよく虐めにあい引きこもっていたんです。テレビしか友達がいなかった…そんな頃、テレビアニメの『アタック№1』を見て、バレーボール選手になってオリンピックに出れば虐められなくて済む! そんな理由でバレーを始めたのです」
中2の初め、偶然に日立バレー部の特集記事が目に止まり、当時の山田監督に相談の手紙を出したと言う。「身長176㎝ 、左利きです。どうしたらバレーが上手になりますか?」この手紙がきっかけとなり、地元小平にある日立バレー部の練習に特例として参加できるようになった。この日から、授業・クラブ活動・日立での練習、といったバレー漬けの日々がスタート。背が高い事がコンプレックスで自分の居場所を見つけられないでいた少女が、自分自身を表現する手段を見出していったのだった。
――私にとってバレーボールは生きていくために必要な場所
「29歳で引退するまでバレーボール一色でした。でも好きで始めたと言うより、幼い頃から背が高い事で居場所を失っていた自分が生きていくために必要な場所だったんです。だから誰よりも生きるためにバレーをやってきました。高3で初めて全日本に入った時に、今まで単なる『でかい人』だった周りの見る目が変わってきて、始めて『大林素子』という人間を認めてもらった、と言う感じです。バレーをする事によって生きる場所を得た事実の方が大きかったですね。目標であったオリンピックには3回も出場ができました。メダルにこそ手が届かなかったものの完全燃焼した感があり、最後の大会が終わって自然の流れの中で引退できました」
――『夢を持つこと』『可能性に挑戦すること』で試行錯誤の日々
「引退したその日から、テレビの仕事が入っていました(驚)。現在、『挑戦』という意味では、バレーボール時代と一緒です。ただ、全く別の分野の仕事なので違う意味の苦労がありますねっ。日々勉強の積み重ねです。クイズ番組やバラエティーでの自分のキャラに、アスリートとしてのイメージが強かったファンの皆様の声を聴いた時、戸惑ったり挫けそうになる瞬間がありましたね」
10年間スポーツキャスターをこなした後、自分の小さい頃からの本来の夢である歌や芝居の世界へは、自らをアプローチすることでその門を開いてきた。つんくプロデュースの『デカモニ』での歌手デビュー、蜷川幸雄演出の舞台出演など、セカンドキャリア・サードキャリアに挑戦し続けている。同じように夢に向かう同世代の方々の行動を起こすきっかけになれれば……と目を輝かせて語っていた。
――特攻の母「鳥濱トメ」役を演じ続ける
特攻基地の知覧で『特攻の母』と呼ばれたトメさんを演じている。今年で7年目を迎える太平洋戦争末期の実話の舞台だ。劇団の方々と作り上げていく喜びも一入だろう。もともと歴史好きの歴女である事は有名で、新撰組オタクであり土方歳三の熱烈なファンなのだ。趣味と実益を兼ね、最近は右手での殺陣の稽古を始めていると言う。
「大河ドラマに出たいという夢はあるのですが、体が大きいので歴史的人物の役というのは難しいですねっ。高杉晋作の妻の役を演じた時は、晋作と共に戦う女、というように書き換えて頂きました。架空の人物を作ってでも『大林素子』を使いたい、と思われる人物になりたいです。ストイックになる理由は、そこにもありますね」
大河ドラマにミュージカルにと、輝きの場所を変えて夢が膨らんでいるようだ。
――叶えたい思いがあったら、まずは挑戦してみる事
「目標を立てたら、ほんのちょっとの頑張りを続けてみる事です。年齢とともに壁とか苦しみがあると思うのです。でも、それとうまく付き合いながら夢を追っていく事です。叶えたい思いの為に頑張ってみると、気付かなかった沢山の幸せに巡り合えると思います」
2016年のリオ・2020年の東京オリンピックで、メダルを獲るその瞬間を日本中の皆さんに届けたいと言う。アスリートの時とは違う『大林素子』さんの魅力は、彼女の挑戦が続く限り増していくだろう。

2015年4月
(聞き手:高橋牧子 編集長:山本英二)